大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

光年先の未来

少し跳ねた短い髪、高い身長、がっしりとした体格。月明かりを切り取ったような、濃い影。そして、よく通る少しだけ低めの声。向こうにいるのが誰か、というのは、考えなくても分かることだった。
膝の上に乗せていた刀を下ろす。一瞬、この部屋に招き入れるべきか迷って、しかし断る理由も思い浮かばず、そのまま立ち上がった。
「楽紗、どうしたのこんな時間に」
名前を呼びながら、障子を開く。思った以上に自分の声が掠れ、少しだけ強く息を吐いた。
すう、という桟が敷居を滑る音とともに訪問者を迎え入れる。立っていたのは予想通りの人物で、けれど予想と違っていたのはその表情だった。


「らく、さ?」
「当主様、相談だ。入っても?」
「う、うん」
「では失礼する!」
素っ頓狂なわたしの声など意にも介していないように、立ったまま、楽紗は間を置かず口を開く。その表情は、母を亡くして失意にくれているだとか、苦しいだとか、そういった類のものでは、全く無かった。
「相談したいのは、先程も言ったが交神のことだ。悲願達成までもうすぐ、というこの機に言うのは正しいのかはわからない。けれど言う。元服を迎えれば交神に赴けるなら、今月を討伐でなく、私の交神に使ってはくれないだろうか」
胸を張り、目を少しだけ細め、口角を上げ。
それは、自信に満ちた、紛れもない笑顔だ。
「……当主様?」
呆気に取られ、言葉が継げないわたしを窺うように、楽紗の首がやや傾いだ。庭先で虫がじいじいと鳴いていて、軋むように揺れる木の音が、柔らかく耳に触れる。部屋を照らす蝋燭の明かりが揺れ、楽紗の瞳が金色に煌いた。
「……交神。ええと」
言われた言葉を頭の中で整理するのに時間がかかる。楽紗は交神を望んでいて、たしかに元服を迎えて奉納点が足りていれば、問題はない。あと交神についてなにか、あったはず。ええと、ええとと口の中で繰り返す。
「問題があるなら教えて欲しい」
「いや、問題は、ないはずなんだけど……その、どうしてか、聞いてもいい?」
それは、疑問への返答というよりは、会話を切らないように吐き出した言葉だった。それでも、ねえさまが逝ったばかりなのに、という言葉が漏れそうになるのを、なんとかして飲み込む。目の前の楽紗が、表情そのままに、こくりと頷いた。
「八つ当たりだ!!」
それは、からっとした笑顔とは似つかわしくない言葉だった。思わず、なにかの聞き間違いか、と楽紗を見上げる。しかし、言ってやったと言わんばかりの表情で、楽紗は言葉を続ける。
「当主様、私は、葬儀のあの日からずっと考えていたんだ。母様ほどの人が、何も残せなかった言い残したのはどうしてだろうか。私は母様と訓練ができて楽しかった。母様と戦えて良かったと、ずっと思ってきたのに」
「楽紗」
「けれど私は、母様にそれを伝えられなかった。訓練のとき、討伐のとき、母様は気がつけばどこか遠くを見ていたから。私は、きっと。それが寂しかったのに」
表情は笑顔のまま。けれど、声の端はわずかに震えていた。もういちど、名前を呼ぼうとして、けれどそれよりも早く、楽紗が口を開く。
「私は、母様に、残してもらえたんだ。それを、母様は、わかっていなかったのだろうか」
最後の言葉が、一層わかりやすく揺れた。思わず、楽紗に手を伸ばす。
「親になれば、その気持ちも分かるか、と思った。けれど、そんなもんじゃない、これは、多分、怒りなんだ、何に対してかはわからない、だから私は、母様に残して貰った命を繋いで…………それで、どうだ、あなたがのこしたものは、はるかみらいへ、のこっていくんだと、いって、けれど、それをちょくせつは、もう、いえない、だから」
言葉がぶつ切りになっていく。いよいよ息は詰まりはじめ、それでも意地だと言わんばかりに、笑顔のまま言葉が絞り出される。大きく息が吸い込まれ、不自然な間が開いた。
「だから、これは」
八つ当たりなんだ、と、最後に溢れた言葉ごと。
頭一つ大きな妹を、強く、強く、抱きしめた。

****

抱きしめた腕を緩めたのは、楽紗のしゃくりあげる声がすっかりなくなってからだった。
蝋燭は随分短くなっていて、月明かりが落とす影は角度を変えている。区切るように、すん、と洟をすする音が、すこしだけ上から聞こえた。楽紗の呼吸は、穏やかだ。
「ごめんね、楽紗」
思ったことを、そのまま口に出す。見上げると、顔に、なぜ?と書いてあるのかと思うほど、わかりやすい表情がそこにあった。
「当主なのにね、わたし。何もできてなかったね」
「ん、いや。そんなことはない。私は結局許可をもらわなければ交神に行けないのだし」
反省を込めた言葉は、あっけらかんとした返答にあっという間に許されてしまった。思わずくすぐられたような気持ちになる。すこしだけ噴き出して、そのとおりだ、と頷いた。
「……交神、少しだけ待って貰っていい?楽紗が交神に行くことも、どうして行くのかも、ちゃんと、みんなに話したいから」
それはいい、と、楽紗は笑った。
細められたそのまなざしが、とても良く似ていて、思わず目を閉じる。
耳の奥で、名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
「当主様?どうかしたか」
「ん……楽紗は本当に、ねえさまに似てるなって。髪の色も、瞳の色も、そっくりだよ」
わたしの言葉に、楽紗はまた首を傾げた。心底当然だ、という顔をして、まっすぐにこちらを向いたまま、笑って口を開く。

「当主様の瞳も同じ色だし、髪の色はむぎ姉さんと同じだよ」

明るく言い放たれたそれは、とんでもなく当たり前のこと。
けれど、その言葉とともに。
生温い部屋に、優しい風が吹き込んできた気がした。