大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

ゆめがついえるとき

蛍が、飛んでいる。
明滅を繰り返す緑が、ふわりと指先に灯った。
蛍は、ひとのたましいなのよ。いつか、街で聞いた言葉を思い出す。
指先から離れていく、淡い光。
ああ、わたしは死んだのか。
ごく自然に、そう思った。


目を閉じて、開く。風はなく、音もない。どこであるかも分からない場所に、ただ、のっぺりとした暗闇が広がっている。見回してみても、あるのは浮かぶ、蛍の光だけだ。そして、その光にぼんやりと照らされた自分の手は、暗がりでもはっきり分かるほど、べったりと血に塗れていた。

ああそうか、髪の攻撃を受けたから。

疲弊していた。皆が、何もかもを使い果たしていた。ここにきりえ姉さんがいれば、誰もがきっと、そう思っていた。分け与えて貰った力は最後の手段で、けれど鋭く尖った骨が、わたしの身を抉ったのは、その直後だった。左胸に向かって来る骨の刃を、穂先で弾こうとして、そのまま勢いに押されたのを覚えている。反応は出来ていた。けれど使い慣れない槍の柄は、掌の中でうまく滑りきらず、結局攻撃を弾き切れないまま、右胸から左脇腹へ、あっさりと袈裟懸けに抉り取られた。自分の足が飾りになってしまったように、ぐら、と分かりやすく体が傾ぎ、瞬きも必要ないほどの間に、駄目押しとばかりに二撃目が飛んできて。結局、それにはまるで抵抗が出来なかった。巨大な頭蓋が吐き出した、遠目からでも分かるほど、筒状の鋭利な骨が、赤く澱んだ空間に何本も浮かんでいて。頭をぐるりと囲むように並んだそれらが、まるで手を払うように振り下ろされた。そのうちの一本が、なんの邪魔もなく肩口に突き刺さり、そしてずるりと引き抜かれたときの、あの。
脳が、体が千切れ飛んで爆発するような感覚。流れ出ていく血液。声を上げることすら出来ず、急速に抜ける力。脳への、酸素の供給が絶たれていく。握り込むことができず、手元を離れる槍。硬い骨の上をがらんがらんと転がる音。近づいて来る地面と、響き渡る鬼の嗤い声。溶ける蝋と、土埃の臭いに重なる、妹たちの悲鳴と兄の叫び声が、近くなって遠くなる。雪辱を果たすはずだったのに、結局わたしは、父と同じ場所で倒れてしまったのだ。痛い。死ぬことへの恐怖が這い寄って来る。血を継いでいないことへの後悔よりも。ごめんなさい、わたしのせいで。ごめんなさい。意識は薄く、指先を動かすこともできないのに、家族が戦い続けていることがはっきりと分かる。ごめんなさい、ごめんなさい。

そこで、目が覚める。
それは、あの日から、ずっとそうだった。 

****

重湯のみであった食事は固形物に戻り、家族と殆ど同じものを口にすることが出来るようになった。思ったよりも随分早く、体が楽になったな、と思う。

汁物を啜りながら、交わされる他愛のない話に、耳を傾けた。
新しくできた団子屋さんで、一本おまけして貰っただとか、雑貨屋さんの機嫌がやけによかっただとか、風が強くて困っただとかに、ゆるく相槌を打つ。そして、そこに当たり前のように、今月どうするか、という話が混ざった。
大盛りにされた赤飯は彼女の好物で、胡麻塩を振りかけながら、いつも以上に絶え間なく、わっせわっせとかき込んでいる。むぎが、喉に詰まるよ!と呆れたように声を上げたが、意に介していないのか、口の中に赤飯と夏野菜の炒めものを詰め込んだまま、討伐に出るか、それとも、と迷う当主。そんな彼女を、慈しむような眼差しが包んでいた。
これがきっと、親の顔というものなのだろう。揃いの紅は、まるで太陽のようで。本当にこの二人は、良く似ていると思う。
兄様の表情は本当に穏やかだ。その奥には、燃えるような思いがあるだろうに。

食事を始める前の、もみじ兄様を思い出す。
口数があまり多くない彼が珍しく、食べる前にひとつ、言いたいことがある、と前置きをして。
静かに語られた言葉。
今月が、恐らく最期であること。
先月、倒れてしまった姉様の前で、それを言い出すことが出来なかったこと。
それでも、今の自分の選択に後悔は一片もないこと。
戦う力はまだ、残っていること。
今月どうするか、それは「当主」に任せる、ということ。

父から当主を継いだ妹は、口癖のように、全員で決めたいの、と言っていた。だから、討伐先や今後の予定といった重要な話が、自然に皆が集う食事の場でされるようになった。皆が、均等に、意見を投げることが出来る。だからこそ、兄様は今この時に、自分の最期を話したのだろう。
そして、妹は泣きもせず頷いた。
今、食事を摂る彼女は、いつも通り振る舞おうとしている。例え、それが、空元気でも。

わたしが、父を見送ったときは、どうだっただろうか。
父の最期の声が、耳の奥に蘇る。
引くな。
そこには死神が立っている。
そう、引くわけにはいかない。だって、そう言っていた。

討伐にでるか、それとも。
その言葉の続き。選択肢にあるのは、わたしの交神だ。
次世代に血を繋ぐ月にすることも、それはそれで前進ではあるのだろう。けれど、その後ろには、わたしの体を慮る妹たちの気持ちがある。
それが、強い兄様の足を止めてしまうことになるのなら。
それは、違うのではないか。
そう思った。
ひとつ息を吸う。お茶を差し出すむぎと、変わらず穏やかに笑う兄様を、ぐるりと見回して。

「ねぇ。皆が納得してくれるならなんだけどね。わたしの意見を、言ってもいいかな」

言葉を吐き出した。
皆が、わたしの方を見た。

「紅蓮の祠に行きましょう。全員で。わたしは漢方を飲めば戦える。いま、後退ってはいけないわ。もみじ兄様のお力があれば、あの祠を制すことは出来るはず。だから、先に進みましょう、当主さま」

言い切って、また息を吸う。
沈黙のなか、妹たちの戸惑いの表情がわたしに向けられていた。
気持ちは固まっていた。だから、問答するつもりは、なかった。

けれど今月、進む道が紅蓮の祠に決まったのは。
卓の上に並んだ汁物が、すっかり冷えてからだった。

***

次回更新に続く