大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

此岸のわたし、ひがんのあなた

日増しに寒くなっていく空気の中、イツ花と二人、たくさんの話をした。


ねえさまのこと。小町のこと。歴代の当主のこと。
毎日のごはんのこと、いきつけの豆腐屋さんが猫を飼っていること。いままで好き嫌いをした人がいたときのこと。どんな人が、どんな風に過ごしていたか。
私が問いかけ、それにさほどの淀みもなく答えてくれる。明るく、時折冗談を交えながら話をしてくれる姿。一日の大半を、話をしながら過ごしていくうち、自分の中で、少しずつ考えが固まっていく。
このまま、討伐隊の帰りを待てたら。そんなことを思いながら、毎日を過ごす。けれど結局、それが出来たのは、その月の半ばまでだった。

がくん、と。
わかりやすく、体の力が抜けるようになった。
頭のなかで、あの日の小町の姿が蘇る。卓袱台に、肘をついたあの日。眠る小町の横で、このまま目を覚まさなかったらと不安に駆られたとき。ご飯が食べられなくてごめんと、何度も謝られた。そのときの小町の気持ちが、少しだけわかる。

「ねえイツ花」
夕刻。
布団の中で、粥を下げにきてくれたイツ花に、声を投げた。
ハイ、と跳ねたような返事にすこしだけ笑いながら、いつものように、浮かんだ言葉を落としていく。
「ねえさまは、何も残せなかった、って言ってたけど、そんなことないと思うのよね」
苦しみの中で逝った、あの虚のような眼差し。きっと、ねえさまが求めていたのは戦績や武器だったんだろう。確かに、ねえさまが戦場で得たものは、少なかったのかもしれない。けれど。たくさんの死線をくぐり、生き続けてくれたこと。その結果、お子である楽紗が、いま立派に隊を率いていること。そして、ねえさまの最期が、隠すつもりだったかも知れない気持ちの欠片が、私の中にいままでなかった考えに繋がっていること。ねえさまが遺したのは、そういう、生きる標になるような、形のないものだったんじゃないのか。そんなことが、頭にずらずらと浮かんでいった。
「ハイ、イツ花も、そう思います」
穏やかなその笑みに、だよね、と返して、息を長く吐く。
これを伝えるまでは、死ねないな、と。そう、強く思った。

出撃隊のご帰還です、という声が屋敷に響いたのは、翌日夜のことだった。
体を起こすことは、出来なかった。

***

「姉さん!!聞いてくれ。ひかりは奥義を習得、六兵衛もだ!文太は大活躍で、防具もわんさと集めてきたし、あとはええと」
興奮気味に話す楽紗の口から、ぽろっと白米が落ちた。かあさん、汚い、とひかりが冷静に注意する。一月の間で、見違えるように逞しくなったその姿。面立ちが、ますます楽紗に似たような気がする。
布団を居間に敷いてもらったまま、皆が食べるのを見守った。戦果の報告はこころが弾むようなものばかり。気力も十二分にみなぎっていることが見て取れる。このまま、明日にでも予定の通り蔵にある薬を飲み、月が変わると同時に討伐に向かうのだろう。
手を握って、解く。繰り返す。握り込む力が、やはり随分弱い。
楽紗の話は続いている。それを聞きながら、頭の中にふと浮かんだのは、巨大な「髪」の前で、そして地獄で、朱点から聞かされた言葉。
あの髪の前で、朱点童子は私たちのことを「人」だと言った。
そして地獄の塔の前で、私たちの始祖は「もうひとりの朱点童子」だと言った。
あの男が、わたしたちのことをなんだと思っているのか。
一瞬だけ、そんなことが過ぎる。
にぎやかな戦果報告は、卓袱台の上に並んだ大皿がからになる頃に終わり、我先にと風呂を取り合うひかりと六兵衛の声を聞きながら、その日は居間で眠りについた。
どこにも痛みを覚えることのない、穏やかな眠りだった。

***

翌日。
食事を摂る家族の声で、ゆっくりと目が覚めた。眠りに落ちるとき同様、痛みのない目覚め。布団の中で体をひねる。ばきばきと、骨がきしむように音を立てた。
朝日の中で、家族が朝ごはんを食べている。おおよそ一月ぶりの光景で、皆が思い思いに箸を伸ばしている。柔らかで、自分のいないその景色。こころのどこかで、決めたくもない覚悟が決まっていくのを感じた。
「ねえ、みんな」
掠れた声だったけれど、皆一様にこちらに視線を向けてくれた。おはよう、と楽紗が、六兵衛が笑い、おはようございます、と畏まっているのはひかりだ。文太が、じっとこちらを見ている。
「あのね、食べながらでいいわ。私がいままで考えていたこと、皆が討伐に出ている間に思ったこと、それを話すね」
かちゃ、と、箸が置かれる音がした。霞む目を凝らして見れば、文太が箸を置いて、こちらを見ている。それに習うように、皆が箸を置いた。
食べながらでいいのに、汁が冷めてしまうでしょう。そう思いながら、それでも何故か、どうしようもなく嬉しくて、口を開く。
「あのね。朱点童子に……私たちは、いろんなことを聞かされたでしょう。それを、昨日思い返していたの。人間だとか、朱点だとか、鬼だとか……そういうもの」
「ああ」
静かな相槌。打ったのは、文太だった。そのまま、言葉を続ける。
「自分は何なのか、っていうのを色々考えて……でも、それは、私にとっては、割とどうでもいいことだった。大事なのはそこじゃなくて、私は、呪いのせいで……大好きな家族と、十分話が出来ないまま、別れざるを得ないってこと。それが歯がゆくて、悔しい」
一瞬、冷たい空気が流れた。文太が珍しく、眉根を寄せている。楽紗の唇が震えていた。
「私が一番悔いているのは、長く生きられないことじゃないのよ。こうやって、せっかくいろんなことを伝えたいと思ったのに、伝えるための時間が、あまりにも無い。悔しいの。時間がないことが、あまりにも悔しい」
握り込む。けれど。拳を上手く作ることも出来ない。鼻の奥がじんとして、けれどつばを飲み込んで、こらえる。
「だから。その時間を奪ったやつを、私は許したくない。……でもね」
もう一度、つばを飲む。嚥下するのに、随分と時間がかかった。吸って、吐く。その過程で、言葉を吐き出す。いつかの日と、同じように。
「これは、単なる私の気持ちなの。だから皆の気持ちじゃない。同じように思わなくていい。同じように考えなくていい。あんたたちがどう考え、どうしたいかは、皆できちんと話し合って、きちんと決めてほしいんだ。それを、言いたかったの。だって、朱点を倒したら、その先の時間は、あんたたちのものなんだから。でね、それは……たまらなく難しいことなんだ。でも、その方が絶対、いい。私が言うんだから、間違い無い」
吐き出しきる。一気に喋ったからか、頭がくらくらとしていた。けれど、きっと、最期の機会だ、と、そう思う。
「ちゃんと話をして。一緒にいたい人と。そのほうが、長い人生、絶対楽しめるんだから」
吐き出しきって、じわりと広がった頭の痛みに、たまらず目を閉じた。どうしてだか、自分の呼吸音がやたら遠く聞こえる。
「……約束する」
そう言ってくれたのが誰だったか、わからないまま、頷くことしか出来なかった。

***

目を覚ましたとき、もう討伐隊は出立していた。
イツ花が、申し訳無さそうにそれを伝えてくれたとき、それでも一番に胸にあったのは安堵だった。ちゃんと伝えることができた。今、思っていることは、話すことができた。そう思う反面で、けれどどうしようもなく、日が経つにれてまだ、話したいことが次から次へと湧いてくる。一瞬、日録をつけようか、と思って、結局やめておいた。体はもう起こせそうになく、口に入れるものは重湯だけ。匙も握れない手では、筆を使うことは出来ないだろう。
ああ。
文太、無事だろうか。楽紗、無理をしてないだろうか。
皆の顔が浮かんで、眠り、イツ花と話をし、そして眠る。
どうしようもない眠気と、体の重さ。
どうか、と強く思いながら、眠りに落ちる。
どうか、の続きは、浮かんでいなかった。

***

光が降る。
ちかちかと明るい景色の中に、見慣れた二人の影があった。
ああ、と思う。自然に、口角が上がった。

どーよ、小町。約束は果たしたんだからね!
どーよ、ねえさま。生ききってやったわよ!
だから、だから。
夢なのか現なのか、まったく区別がつかないその場所で、目を開けていることがどうしてもできなかった。
重くしびれたまぶたが、落ちてくる。
視界が暗くなる直前。
深々と頭を下げるイツ花の姿が、車座になった家族の向こうに見えた。
笑いたかったけれど、それが叶わない。
最期の息を、ゆっくりと吐く。
震えた声が、耳に届いたとき。
今更ながら、長く生きられないことを、どうしようもなく悔いた。

逝かないでくれ、という息子の叫び声は、いつまでも、耳に残り続けた。