大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

此岸のわたし④

目を開ける。
ぼんやりとした視界の中、それでもとっくに朝がきていることは理解できる。夢を見るかと思ったけれど、結局気がつけば夜が明けていた。目元に手をやれば、ほんの少しいつもより熱をもって腫れぼったい。夜通し泣いたら目が腫れるのか、と霞のかかった頭の中で、そんなことを思った。
朝食の時間だろう、居間の方に行かなければ。わかっているけれど、なんだか気力が沸いてこない。
目を閉じれば、黒く煤けた燃え殻がすぐに浮かぶ。燃やしたことに後悔はない。けれど、やはりじくじくと胸は傷んでいる。
一つ、息を吸って吐く。
振り絞るように体を起こして、できるだけ何も考えないようにしながら、居間の方へ足を向けた。



***

「姉さん!おはよう」
今日も当主様は元気だった。おはよう、と返そうとして、卓袱台のうえに並んだ薬瓶の数に圧倒される。
「……これは?」
なんとか発した声は掠れきっていたけれど、楽紗は笑っていた。彼女の視線の先には、唇を引き結んだ六兵衛と、相変わらず無表情の息子、そして難しい顔をした、ひかりの姿がある。
「蔵にあった薬だ。在庫の確認と、割り振りをな」
「割り振り?」
そう聞き返したとき、露骨に息子の表情が苦いものになった。目の前にいる楽紗の気概に満ちた表情とは対照的だ。そのまま、言葉は続く。
「そう、割り振りをしていた。悲願達成への討伐に向かうにあたって、我々にはそれぞれ、伸ばさなければならない力がある。これらは代々迷宮で鬼や宝物庫から集めたもので、足りぬ力を補ってくれるものだそうだ。当主の記録に記載があってな。味はまずいそうだ」
張りのある声で断言されたそれらに、改めて目を遣る。丸薬、液状のもの、粉状のもの、瓶に入っているもの、紙で包まれているもの、まるで形は様々で、紙も瓶も赤に黄色にと色とりどりだ。しかし瓶には埃が積もり、液は見た目からして淀んでいる。
薬の苦い匂いとともに、妹の遺した指示が、頭の中を駆け巡った。ひかりが初陣を迎え、鬼と渡り合えるようになるまで悲願達成を焦らないこと。けれど今目の前にあるのは大量の薬で、これを飲んで得た力があれば、もしかしたら。そう思ってしまった直後、なんとも形容できない靄が、一瞬だけ胸に被さる。
眉間に皺が寄るのが、自分でも分かった。楽紗の顔が、一瞬苦しげに歪む。
「……姉さん。先代当主の遺した言葉は、しっかりと覚えている。悲願達成は、焦らない。今月向かうのは地獄だが、機を見極めることは、怠らないつもりだ」
言いづらいであろうことを、それでも逃げずに、まっすぐに投げて寄越す当主の姿。その強い眼差しに、ひとつ息を吐いた。
「楽紗」
「ん」
「……貴女が小町の指示を尊重してくれて、嬉しい。約束するわ。ちゃんと生きて待ってる。これも、小町との約束だもの」
楽紗が頷く。その唇はほんの少し、震えていた。
「姉さん。みんな。まず私達は今月、ひかりの初陣と全員の修練を無事に済ませて戻ってくる。そして来月、それでも足りない分を薬で補おう。新しく術を習得するには、少なく見ても一月はかかる。更に使い勝手や威力、戦略も含めれば、実践で慣らしていく必要があるだろう。確実に朱点の首を取るために、焦りは禁物だ」
張りのある声で告げられた言葉。それがおそらく、自分に言い聞かせている言葉だということは、痛いほどわかった。
「この薬を飲むのは、私達が無事に戻ってきたときだ。以上!さあ、討伐準備!」
応、と低く答えたのは六兵衛だった。ひかりは何度も頷いている。二人の間に座っていた文太が、何も言わずに立ち上がる。
返事を促そうとしたけれど、何も言えなかった。

****

翌日、出立。
きんと澄んだ空気が頬を刺すような、そんな朝だった。
行ってらっしゃい、と手を振りながら、四人の背を見送った。楽紗は、何度も何度も必ず帰る、と口にする。待ってる、と、月並みな言葉でしか、返事が出来なかった。

「ねえ、イツ花」
横に立つイツ花に、言葉を投げる。
それは、あのときのように、やはり浮かんだものをそのまま落とすようなものだった。
「ハイ、むぎ様」
イツ花の返事は、いつもどおりの、明るい声音。
「話をするのって、やっぱり難しい。これで最後になるかもしれないのに、私、なにも言えなかった」
ぴゅう、と風が鳴った。冷たい空気が、色付いた銀杏を揺らしている。遠くから、おはようございます、と棒手振りの声が聞こえた。豆腐が安いそうだ。
「むぎ様……イツ花は、そんなことばかりです」
困ったような、けれど、どこか納得しているような響きの声。顔を覗き込めば、鼻先が赤い。
「そっか」
「ええ」
頷くその顔の真ん中、相変わらず眼鏡が下へずれていた。
「寒いね、イツ花」
「中に入りましょう、むぎ様」
イツ花の言葉に頷きながら、足を屋敷に向けて進める。
小さな砂利を踏みしめながら、ああ、誰かと長く生きるということは、それだけ沢山、話をすることなのか、と、そんなことを思う。
そしてそれは、きっとたまらなく難しいことで。
けれど、決して避けては通れないことなのだ、と。
そんなことを、ぼんやりと、思った。