大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

此岸のわたし②

「イツ花……」
なんとかして、目の前の人物の名前を絞り出した。
聞きたいことは山程あるのに、頭の中で言葉としてまとまらない。これが何なのか、いまどうしてここにあるのか、なぜイツ花がここにいるのか。すべてが喉の奥に張り付いてしまったかのように、言葉として形にならない。やたら冷えた風だけが、開きっぱなしの勝手口から忍び込んで、じじ、と蝋燭の芯が燃えている音がしている。暗がりの中、わずかに見えるイツ花の表情は変わらない。困惑、後悔、驚き、そのほか色々な感情が、静寂とともに、ただ台所にぼとりと落ちていた。


「……寒いから、そこ、閉めましょう」
なんとか絞り出した言葉は掠れきり、語尾など消えかかっていた。けれどイツ花は唇を引き結んで頷き、手燭を傍の机に置いて勝手口を閉めた。風が、戸に阻まれてがたがたと音を立てる。
「……むぎ様、あの…………」
どう話していいかを、イツ花もまた図りかねているようだった。逡巡するように開いて閉じる口元を見ながら、大きく息を吸って吐く。鬼へ立ち向かうより大きな心音が、耳の奥で鳴っていた。
一歩。イツ花のほうに足を進める。
「イツ花。これ、ねえさまの字……」
自分の声は相変わらず掠れきっていた。なんど唾を飲み込んでも、うまく声にならない。手元の紙束に視線を落とす。滲んだ文字を追おうとしたとき、あっ、と小さく固い声が上がった。
「むぎ様、どうか、それをこちらへ」
イツ花の眉尻は下がり切っていた。普段明るい彼女には似合わない、悲痛な表情。そのまま渡そうとして、けれど首を振る。確かめないといけない。これは何で、どうしてここにあったかを。
「イツ花、教えて。これは、一体」
腹に力を込めて発した言葉。
痛いほどの沈黙のあと、イツ花がゆっくりと口を開いた。
「……お答え、しかねます。それは…イツ花と、夢様との約束なのです」
「ねえさまとの……」
「はい。けれど……ここに置いていたこと、今の今までその約束を果たすことができなかったこと…それは、イツ花のせいなのです。どうか……どうか、この場は何も聞かず、お部屋にお戻りくださいませ」
「ま、待ってよ!」
今まで見たどのときよりも深く、深く頭を下げるイツ花に、とっさに声をかける。謝ってほしいわけでも、イツ花のせいにしたいわけでもない。ただ、ただ。
頭を下げる彼女の表情は見えない。三束の髪が、視界の下方で揺れている。
「イツ花。なにもかもは話せない、のよね。それはわかった。でも、これが何なのかは知りたいの!どうして、あなたがここにいるのかも。ねえ、誰にも、言わない、から」
お願い、だから顔を上げてー…と、声をかける。何度目かの、沈黙が落ちた。自分の問い詰めるような口調が、今になって恨めしい。そう、もしねえさまなら、こんなときにも優しく声をかけられるだろうに、と、何もかもがおかしい想像が、脳の中を巡った。謝らなければ、と頭を振る。
「……困らせて、ごめんなさい、イツ花。でも」
「本当は」
紡ごうとした言葉を遮るように、頭を下げたままのイツ花が口を開いた。
「本当はご逝去後にすぐ、夢様とのお約束通り、すべて燃やすつもりでした。イツ花にも中を見ないで欲しい、と言われておりましたので、全て伏せたまま、出来るだけ見ずに。けれど」
唾を飲み込む音が聞こえた。鼻の奥がつんとする。炎が揺れて、影がぐにゃりと歪んだ気がした。
「……むぎ様、これから申し上げることは、イツ花の懺悔です。むぎ様が、聞かれなくても、よいことなのです」
「それは」
「けれどもし、最後まで聞いてくださって……その時、むぎ様にどのように思われても、イツ花は仕方ないと思っています。いま、お部屋に戻られるなら、それでも」
「イツ花」
それは言葉の遮り合いだった。いつも笑ってご飯を作ってくれる彼女がいま、吐きこぼすような苦しさを伴って、何かを抱えている。最初に聞いたのはこちらだ。どんなものであっても、聞かない、という選択肢はなかった。
話して、と小さく促す。ゆっくりと、イツ花の頭が上げられた。
「それは、六月に夢様が綴られた、日録なのです。イツ花は……夢様から、これを綴ることの相談を受けました。そして、誰にも見せずに燃やして欲しい、ということも。一度は、それを受け入れました。それが望みであるなら、と。けれどいざ、夢様の葬儀を終え……燃やそうとした時……紙の裏から、沢山の文字が見えました。読んではいけない、お約束したのだからと目を瞑ろうとしたのですが……けれど、裏からでもはっきりと、むぎ様、小町様、楽紗様の……皆様のお名前が見えて」
決して、淀みない言葉ではなかった。考えながら、迷いながら、言葉を選びながら、なんとか形になっていく声。
「私達の」
こくりと頷いて、また、イツ花は口を開く。目線は下がったまま、そして唇は震えている。何か声をかけようとして、何も言えなかった。
「……イツ花は、誰にも見せずに燃やしてほしいと仰った夢様のご意思を尊重せねばと、思いました。けれど同時に、お伝えしなくて本当に良いのか……それを悩んでいる間に、楽紗様は交神へ向かわれ……結局何も決められないまま、一月が経ちました」
イツ花の言葉は、途切れ途切れに、絞り出すように紡がれていた。変わらない悲痛な表情も、その声音も、嘘を言っているようにはとても見えない。胸の前に持っていた紙束を、下ろした。
「交神のお勤めを終えて、皆様が選考試合で華々しく勝利を飾り……むぎ様とご飯を一緒に作ったあの日も、考えなくてはと……そう、思っていました。しかし、お帰りになった小町様がはっきりと、体調を崩され」
「ああ……」
思い出す。小町の好物を作りたいとイツ花に言った、まだ暑かったあの日。この場所で、二人で、小豆を洗っていたあのとき。私は、そんなことを考えもしなかった。
「ご飯を作る時、竈にいれて燃やしてしまおうか、それとも、誰にも言わず抱えていようか。そんなことをずっと思って……結局何も言えずじまい。そうしている間に、小町様は…」
見送ったばかりの、今際の際の表情を思い出す。水分を失って白くなった唇。痩せた頬。金色の瞳から伝った涙と、引き抜かれる指輪。
「むぎ様も、体調を崩されている……小町様は、悲願達成を見据えたお話しをされて……大食家の皆様が、そのための討伐に向かわれる。日が過ぎれば、むぎ様と二人で過ごす…いま燃やす決断をしなければ、イツ花はきっと、隠し通すことなんて出来ない、燃やさなければと、そう思って…」

イツ花の言葉は、そこで途切れた。
もう一度、深々と頭を下げるイツ花を見ながら、ただ、ただ。
先に逝ってしまった二人の顔が、瞼の裏に張り付いて。
この場から意識をそらすために、目を瞑ることさえ、許されなかった。