大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

6月1日、晴れた日

後ろには死神が立っていると、父は言った。
掠れ、消えるようになりながら搾り出された声。畳の上に濃く落ちた障子の影と、指輪を受け取った小町の表情。虚になっていく目。上下していた胸が、ゆっくりと動かなくなる。イツ花の言葉とともに、天上へ祀られる姿。神さまの前で、全員で「進もう」と話し合ったあの日。全てを、今でもはっきりと思い出せる。
けれど。
半端なことをするなと言った姉。自分の選択が正しいことを確信して逝った兄。
二人の声を、わたしは聴くことができなかった。
父と同じように神になった、二人の最期を、わたしは受け取ることが出来なかった。
涙をにじませながら、喉を詰まらせながら、二人はこんな風であったと伝えてくれる妹たち。彼女たちにとって、それは親の死だ。手に触れられるほどはっきりとした、輪郭を持つほどの強い悲しみがそこにあった。けれど、なのにそれでも、ねえさまが生きていて良かったと泣く二人。そんな妹たちを抱きしめながら、ありがとうと言う。ああ。
なんと情けないのだろう。
二度、明確に死に触れた。胸をえぐられたときの音、自分の皮膚が焼ける臭い。未だ鮮明によみがえる痛み。息が止まり、頭がじんと痺れるような感覚が襲ってくれば、そのうちに呼吸が浅くなる。屋敷にいるはずなのに、周りの音が離れていく。
暗くなっていく視界の隙間、引きつれるように縒れた皮膚が、こちらを見つめていた。その痕に触れるそのたびに、何度も、何度も、何度も何度も、同じ言葉が、頭を巡っていく。

ねえ、あなた。
一体、何のためにここにいるの?

***

「イツ花」
台所に立つ彼女の背に、声をかけた。火にかけられた鍋からは湯気が立っていて、甘く豊かな出汁の香りが満ちている。大きな菜っ葉がざくり、ざくりと刻まれる音。それがわたしの声に合わせて止まり、特徴的な、ぴょこんとした髪が三束、頭の上で揺れる。即座、彼女は跳ねるようにこちらへ振り向き、ぱたぱたと駆け寄ってきてくれた。その動きはいつもどおりきびきびと大きく、そしてなぜだかいま、それがひどく眩しかった。
「夢様!起き上がって大丈夫なンですか!?」
「へいき」
すぐに返事をしたけれど、彼女の眉尻は下がったままだ。身を案じてくれているのが、まっすぐに伝わってくる。もういちど、平気、と声を掛けた。
「ねえイツ花、これなんだけど」
そのまま、手に持っていた帳面を見せる。少し雑に半紙を綴じた、簡素なもの。表紙には、見覚えのある文字で「月録」とだけ書かれていた。イツ花の目が、一瞬丸くなり、そして少し細まる。
「夢様、これは」
「父上の記録よね。ごめんなさい、どうしても見たくて当主さまの部屋から持ってきたの」
「いえ、謝ることではない、と思う……ンですけど…その、なぜ?」
なぜ。
なぜ、家族が留守の間に一人で当主の部屋に?
なぜ、一人で見ればいいものを、わざわざここへ、持ってきた?
なぜ、いま?もうじき死ぬという、いまこのときに、月録を?
なぜ、の続きを口には出さなくても、イツ花の表情からはたくさんの思いが溢れていた。
「あのね、わたしも似たようなものを書こうと思うの。だからこれを書いていたときの、父上の様子が知りたくて。イツ花なら、知っているかなと思って」
「え、ああ……!そういうコトであれば、お任せください!」
疑問を飲み込んだ、けれど安心したような笑みで、胸をトンとたたくイツ花。その様子に、思わず口角が上がった。
くつくつ、という、何かが煮える音が柔らかく響いている。台所仕事に片をつけようとする彼女へ、続きの言葉を投げた。
「それとね。これは、お願いなんだけど」
「はい?」
「書いた月録を、わたしが死んだあとにね。誰にも見られないように、燃やして欲しいの」

一層、丸く開かれたイツ花の瞳。
わたしの表情は、きっと変わっていない。

庭先で、慌てんぼうの雨蛙が鳴いていた。