大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

ずれる はずれる こわす つなげる

「はい!こちらがお子様の名前案です!夢様は米子様のご子孫でいらっしゃるので、こちらの名前よりお選び下さいませ!」
「わかった、ありがとうイツ花」
「それと……あまり、ご無理はなさらないで下さい。そもそも性別もお伝えできておりませんし…お子様が来られてからでも、遅くはないンですから。ここにお水、置いておきますネ」
「うん」
卓袱台の上に、ことりと湯呑みが置かれる。その横に、イツ花が持ってきてくれた巻物を置いて、一つ伸びをした。
今年は残暑が厳しいらしく、もう十月が来るというのに、むぎと小町は庭で打ち水に精を出している。氷の洞窟から戻ってきたときは冷えていたそうだけど、いま庭先から聞こえるのは、秋なんでしょ!なんでこんなに暑いの!と楽しげに文句を言う声と、水を撒く音だ。
開け放たれた障子の向こう、庭で藁巻きがぽつんと立っている。日は照っていて、風はない。土ぼこりが湿っていくにおいがする。二人の声がやけに遠く、ただただ生ぬるい空気が、部屋を満たしていた。
「名前……」
呟く自分の声ですら、そのぬるさのなかに溶けてしまう。名前。もう二日後には会えるという、自分の子。実感など、湧くはずもなかった。そもそも、自分がいまここで生きていることさえ、曖昧だというのに。

考える。
あの日、死の淵から戻ることができたのはどうしてだろう。
痛みなのか熱なのかわからない圧迫感。踏みとどまろうとした足が焼け落ちていく音と、鼻腔に飛び込んできた饐えた臭い。血を繋ぐことも出来ず、と思ったあの一瞬、わたしはきっと、完全に死んだのだ。
短い寿命を全うすることもできず、子を残すことさえできないまま、死んだのだ。
けれど気がつけば布団の上だった。あの、白骨城から戻った日と同じように。違うのは、目蓋の裏に焼き付いた赤い炎だけ。
意識を取り戻してからも、焼かれたというのに見るのは溺れる夢ばかり。ままならない呼吸の中で目覚めれば、ひどい喉の渇きと、やたらと切れる息に追われる。水を飲んでは噎せ、けれど足りないからまた飲む。夢と現を彷徨ううち、まさか全て夢だったのだろうか、と思う日もあったけれど、腕にも足にも、顔にも首にも胸元にも腹にも。あのとき焼けて爛れた、引き攣れるような赤黒い痕が、巻きつくように走っている。

いま、ここで呼吸をしていることが、まるで何かの枠の中にいるかのような、この感覚。
要するに神なんてその程度の存在なのサ。
なら、その程度にすがらなければ、子すら為せないわたしたちは?
あの子たちに殺されちゃえばいいのよ。
あの子たちって?
はじめからおわりまで利用されているなら。
わたしは。
わたしたちは、なんのためにここにいるのだろう。

まとまらない思考の渦に飲まれながら、卓袱台の上の巻物を解く。並んだ名前は、どうやらすべて、お米に纏わるものらしい。どう纏わっているのかはわからないものもあるけれど、ずらずらと並んだそれらが、選ばれるそのときを待っていた。
初代が名付けた三人のお子、彼女たちの名前の意味を継ぎ、かつ神様の加護が与えられるように。名付けの候補を天上が用意してくれている、と、いつか読んだ記録にあった気がする。つまり、これは全て天上の神が考えたもの、ということだ。
交神のときを思い出す。並べられた沢山のごはん。豪勢な御菜。二つ並んだお結び。薄い闇のなか、火傷を隠す必要がなかったあの場所。
自分が死の淵から戻ったときのことを思い出す。あれが加護か。なら、いま自分が生きながらえていることそのものが「その程度の神」の掌の上なのか。

髪はもう、残り1本。
それを切れば、また新しい道が開く。道の先にいるのは黄川人で、それは間違いないのに、その道がどれほど長いものなのか、神様たちは言おうともしない。わたしたちを利用しているのに?いいや、利用されているなんて思ってはいけない。そもそも一族としての最終目的は黄川人を殺すことで、その相手が言うことなのだから、こちらを揺さぶろうとしているのは確実だ。
けれど。
けれど。
神の加護が、生まれてくる子に、名前で。
おそらく考えてはいけないことが、胸にじわじわと満ちていく。

巻物を巻き直した。
わたしがただ、踊らされているだけ。きっと、天上の神にも、黄川人にも、踊らされているだけ。けれど情報が頭の中でぐちゃぐちゃとかき混ぜられている今、この文字の羅列から、自分の子の名前を選ぶ気には、どうしてもなれなかった。
どうしよう、と息を吐いたとき、玄関から妹たちの声が響いた。がんがらと桶が転がる音に、笑い声が重なる。倒しでもしたのだろうか、大丈夫かと腰を浮かせようとして、それよりも早く、足音が近づいてきた。
「ゆめねえさま!お子の名前、決まった?」
「ちょっと当主さま、そんなに急かしたらゆめねえさまがお困りですよぉ」
「もう!」
二人の、いつものやり取り。その明るい声に、先ほどまで暗澹としていた気分に、少しだけ日が差すような心地がした。
「ねえ、ねえさま。この巻物なあに?」
「ああ……この中から名前を決めるようにって。小町、あなたの部屋にある書物に書いてあったでしょう?」
言えば、隣に腰を下ろした小町が軽く舌を出す。記録や書物をあまり読み込まないことは知っていたけれど、どうやらこの件について書かれているものも未読なのだろう。叱るより先に、知ったのが今でよかった、と思った。
「え、この中からしか選べないの?」
不服そうな声が降ってくる。見上げれば腕を組んで、口をへの字に曲げたむぎが、巻物を解いていた。片手で握られた巻物から、だらりと紙が垂れている。文字を追っているのか、すこしだけ細まった目。その顔には、大きく気に入らない、と書いてあるようだった。
「ぴんと来ないときはどーしたらいいのよ。ねえさまだってそうじゃないの?」
「う、うーん」
「ねえ、名前の候補がわたしたちのお子にもあるってことでしょ。そもそも名づけの候補を用意されてるってのも良い気分しないけど、自分の名前もそうやって決められてるんだし、そこにけちつけんのは止めにするとしてよ。でも、どの候補から選ぶかくらいは、こっちで選んでもいいでしょ。だから、祖先が違うとかそんなの一旦置いといてさ、三人の子、全部の名前の候補をまぜこぜにして、そのなかから選ぶのはどーよ。小町どう思う?」
「え」
「わー!いい!!それいい!決まり!当主命令!そうしよう!よっしイツ花んとこ行ってくるね!!」
「ちょっとこま、ち」
捲くし立てられたむぎの言葉を追うのに精一杯だった。制止しようとするわたしの声など聞こえていないように、小町はあっという間に背中を向けて行ってしまう。残されたのは、野分のあとのような静けさだった。けれどそれもまた、あっという間に破られるのだ。
「ゆめねえさま」
むぎが腕を組んだまま、こちらを見下ろしている。ふす、と鼻を鳴らす音、顔の文字は、彼女の口癖に変わっている。口角がにや、と吊りあがったのが見えた。
「何考えてたかは、わかんないけどさ。一人で抱えるようなことはやめてよね。あと…どうせこれから、どうやったって喧嘩になるような相手の言うこと、一から十まで聞いてやる必要ないでしょ」
「むぎ……」
少しだけ窘めるように名前を呼んでも、むぎの表情は変わらない。全く、次女というのは聞き分けが悪いのだろうか。
「あっちが提示した名前から選んでやってるだけ、ましだと思ってよね!」
からからと笑うむぎの声に、イツ花の困惑した声と、小町のおねがーーーい!が重なって響く。
「あーあー、ちょっと加勢に行ってくるね。ねえさまはどーすんの?」
悪戯っ子の声。
ひとつ首肯を返す。
「天界とこっちの橋渡し役だもの、イツ花を板ばさみにするわけにはいかないわ」
「え」
「だから、ね。うまくやりましょ。わたしの名づけを見て、二人も名前の候補を知りたいって思った、そう言えばイツ花は断りづらいでしょ?それに巻物を見間違ったわたしたちのせい、でことが済むもの。だから、この機会に二人も名前の候補をちゃんと覚えておくこと、いいわね」
そうこなくっちゃ、と笑うむぎに、手を取ってもらう。
腕も腹も、かわらず引き攣れているけれど。

痛みは不思議と、全く感じなかった。