大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

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当主さま、しっかり、当主さま。どうしよう、もみじ、当主さまが、もし当主さまがいなくなったら、どうしよう、どうしたらいいの。

ご当主の血が途絶えたら、いや、考えるな、きっと大丈夫だ。体温はある。意識さえ戻れば。きっと、きっと。母さまたちが助けてくださる。大丈夫だ、きりえ姉さん。泣くな。おれたちが、泣いてどうする。ご当主、起きろ、ご当主。

 

二人の声が、代わる代わる聞こえていた。

強烈な痛みと圧迫感。なんとかして呼吸をと思っても、どこにも力を入れることが出来ず、痛みで意識がどこかへ飛んでいく。手放してしまえば楽になるのか、とも思ったが、それはやってはいけない気がした。自分の腕が、足が、あらぬ方向へ曲がっている。何度も円子の術が唱えられているのに、骨に痛みが染み付いてしまったかのように、まるで楽にならない。それでも、もみじの背に体を預けながら、ただ、どうすれば勝てたかを延々と考えていた。

何を間違って、どの手を打てば勝てていたのか。何を指示すべきだった?少なくともきりえはほぼ無傷だった。視野が狭かった?いや、相手の動きは思った以上に早く、自分の実力を見誤っていたとしか言えない。自分は当主なのだから、動けなくなったら敗走だ。わかっていたが、わかっていなかった。

僕が。

僕だけが、動けなくなった。

不甲斐ない、悔しい、すまない。

焦燥と後悔と、そのほかのものでぐちゃぐちゃになった頭の中。

そこで、記憶は途切れている。

 

****

 

悲鳴混じりの声に、的確な指示が重なる。痛みで薄く保たれた意識でそれらを認識したが、できることはなにもなかった。布団に横たえられ、装束が剥がれ、傷に何かが当てられ、再び二人に術を掛けてもらったことを、ぶつぎりの意識の中で、辛うじて認識する。痛みが少しずつ引いていき、恐る恐る、ゆっくりと息を吸い、吐き出した。あの突き刺すような痛みはなく、心臓がはっきりと、大きく動いたのを感じた。

きっとそれに安心したのは、他の誰でもなく僕自身だったのだろう。

まるで滑り落ちるように、意識を手放した。

 

***

 

「きっと、もう大丈夫ですよ!呼吸も落ち着いていらっしゃいますし…」

「本当!?本当ね、イツ花」

「よかった……そうか…よかった」

三人の声が脳を揺らし、再び意識が戻ってきた。

瞼に、明るい陽が当たるのを感じる。戻ってきたときは、まるで塗りつぶされたような闇の中にいた気がしたが。夜が明けたのか、そう思った。

大丈夫死にはしない、と言いたかったが、我ながら何の説得力もなかった。口を開こうとして、それすら出来ない。それどころか、目を開くこともままならないのだから。ゆっくりと、けれど幾分自然に、息を吐く。

風の音、鳥の囀り。ヒグラシだろうか、庭先で鳴く虫の声。色々な音に混ざるように、少し離れた場所から、よく通る三人の声が聞こえた。

「では、イツ花は食事の準備をしてきま…あっ」

「どうしたの?」

「……材料が」

「材料がどうかしたのか」

「ええ…切れ端くらいしか残ってなくて。昨日買いに行こうとしていたンですが、三人で付きっ切りになっていたものですから、すっかり…」

「あっ、え…材料…」

申し訳なさそうなイツ花の声。三人の手を随分煩わせたようで、言いようのない気持ちが、胸を満たす。

「買い物に…でも、看病……う、うーん……ええと、イツ花が良ければなんだけど…買い物、わたしが行ってきても、いいかな。いまなら、棒振りもいるでしょうし、そうだついでに、雑貨屋さんにも行ってくる」

「ああ、それは助かります!漢さまの看病は、バーンとォ!!お任せ下さい!!」

「なら、俺も」

転がるような会話だった。必要なものが伝えられ、玄関が開く音、行ってきますという二人の声が、止まることなく耳に届く。ああ、気をつけて、それから、すまない。言おうとしたが、やはり口も目も開かない。

間をおかずに、衣擦れの音と、足音が近づいてきた。イツ花であることは分かったが、それにしてもずいぶん静かだった。

「……錦さま」

落ちてきた声。当主さま、漢さま。気がつけばもう、そうとしか呼ばれなくなっていたから、それが自分に向けての呼びかけであると、一瞬気が付かなかった。名前。いつか父に呼んでもらった声が、脳の深いところから、少しだけ蘇る。

「……自分ですべてのことなさろうとせず、ご家族を信頼して、託してみてはいかがでしょう」

柔らかく、心底心配するような声音。

けれど胸を突かれたように、一瞬呼吸を忘れた。家族を信頼?託す?していたさ。いや、本当に?繰り返す自問自答に、イツ花の声が重なる。

「前当主である陽織さまは…当主としてのありように、ずいぶん迷われていて……ある時から、吹っ切れたお顔をなさってはいましたが、それでも随分長い間、悩んでいらっしゃったようでした。具体的にいつ、どうなったのか…イツ花は教えられていませんけれど、討伐記録をいつも見ていらっしゃる錦さまなら、きっと、陽織さまが悩んでいらっしゃったことも、その結論も…お分かりのはずです」

頭の中で、何度も読み返した討伐記録の文字が踊った。戦果を焦るな、全員生きて帰ること、家族は何より大切に、生き延びることが、自分に唯一出来ることー…

「……なまいきなこと、言っちゃいました。ごめんなさい」

言葉を結ぶように、申し訳なさそうな声が、じわりと部屋の空気を湿らせていった。

「……………りが、と」

重たい目と、唇をこじ開けた。イツ花が、はっ、と目を見開くのが、ぼやけた視界の中でもはっきりと分かった。生意気などではない。いつも側に寄り添い、家を守ってくれる、他ならぬこの人が言う言葉を、そんな風には思わない。そう伝えたかった。けれど、絞り出せた声は、お礼のひとつさえ、紡ぎきることが出来なかった。

「……錦さま、体が起こせるようになったら、美味しい汁物、作りますから…いっぱい、召し上がってくださいネ。イツ花、皆さんがしっかりご飯を食べていらっしゃるのを見るのが、大好きなんですから」

「……あ、…」

肯定の言葉がうまく声にならず、何とかして頷いた。イツ花もまた頷き、穏やかな微笑みをたたえている。

「そうだ。きりえ様が戻られたら…錦さまに召し上がって頂きたいゴハンがあるんですよ」

「なん、だ?しる、もの?」

「いいえ、言ってしまえば雑炊なンですが…今までは出す機会のなかったものなので、きっと、びっくりされますよ」

微笑みに、どこか悪戯っ子のような色が混ざる。どんなものなのか問おうとしたけれど、うまく口から声が出ない。もどかしさに、眉根を寄せた。

「さぁ、もう少しお休みになってください。イツ花はここにおりますから」

僕の顔が、まるで痛みを堪えているように見えただろうか。イツ花の声は穏やかで、促されるままに目を閉じた。

 

瞼越しに、柔らかい日差しを感じる。

こっちに来るのは、まだ早ェでしょうが、と。

聞こえないはずの声が、聞こえた気がした。