大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

炎のように③

目を覚ますと、見慣れた天井があった。

紅蓮の祠で倒れた、あのあとの記憶は所々抜け落ちていて、息子の背中に担がれたところで終わっている。負われて帰ってくるなんて、あたしと父は、ありとあらゆることが同じだったのか、と思う。

体を起こそうとして、体の内から湧き上がるような急激な熱さに、起き上がれないまま胸を掻きむしった。熱い。半ば這うような体勢で、枕元に置いてあった湯呑みを取り、水を一気に喉に流し込む。なみなみ注がれていたそれを飲み終わり、息を吐こうとしたけれど上手くいかず大きく咳き込んだ。嚥下しきれなかった水分が、ゴボッと音を立てて戻ってくる、ひゅ、ひゅ、と喉が鳴り、呼吸の仕方がわからなくなった、そのとき。

不意に、背中になにかが触れた。

「……姉上殿」

声がして、それが何かを理解した。錦が、背中に手を当ててくれている。術だろうか、呼吸が落ち着き、熱さが引いていった。そのままその手を支えにゆっくりと体を起こし、ようやく座って息を吐く。ただ、衣服が汗でまとわりつく不快感だけが残った。

「あり…ありがと…ず、っとい、てくれたの?」

途切れ途切れになる言葉を、錦の首肯が吸い取っていった。いまが何月で、これからどうなる予定なのか、まったくわからない。見れば、手が震えている。何度も握ったけれど、力はまったく入らない。一つの、揺らぎようのない事実が突きつけられている。

「悔し…なぁ、あたし、よわい、なぁ」

あれが最後だった。あれが最後の討伐だった。

思えばずっと、悔しさがあった。堪えてきたそれが、堰を切ったように涙になってぼたぼたと溢れていく。冗談のように布団は湿っていて、誰の役に立つこともできなかった。やっぱり、あたしは。

「何故」

背中の手はそのままに、錦の口からぽつりと、そんな言葉が落ちた。なぜ。意味を問う言葉だ。表情を伺う。顔色はまるで、変わっていない。

「姉上殿がいたから、あの場所まで行けた。元よりあの先に進むつもりもなかった。僕は、姉上殿が弱いとは、毛頭思っていない」

あの時のように、よどみない言葉だ。真っ直ぐに向けられた金色の瞳が、こちらを見据えている。涙は止まらない。

「で、も」

「姉上殿が自分を責める所以は、記録を見ていれば察しがつく。けれど、それを前当主様が責めている様子はなかった。なら、それが全てだと思う。僕が出来ることは、それらを元に、どうすればいいかを考え、それをどうあっても行動に移すこと」

錦は声を荒げることもなく、静かに、淡々とそれを口にした。

沈黙の中に、自分が洟をすする音だけが響く。

涙は未だ溢れていて、喉は焼け付くようだった。鼻の奥が痛くて、眉間がぼんやりとしている。それでもゆっくりと、錦の言葉が、胸に染みていった。

「……ありがとう、ご当主」

口に出す。それは錦に向けてでもあり、きっと、陽織兄さまに向けてでもあった。頭の中で、色々な感情と記憶が、ゆっくりと溶け合う。呼吸はずいぶんまともになり、もう一度、ありがとう、と錦に伝えた。

錦は、ひとつ頷いてから立ち上がった。こちらに背中を向け、部屋を出るその姿に、ふっ、とひとつ、記憶が重なる。

ー戦果は上々です。目的のものも、手に入れました。

陽織兄さまの最期に、そう言っていた錦。あの時出た討伐では、武器や防具、そして見慣れぬ道具が手に入ったものの、目的だという術を手に入れることは出来なかった。それに、そもそもどうして、錦が指輪をああして抜き取ったのか。それは、討伐から戻ったら聞こうとしていたことだった。

もう一度声をかけようとしたけれど、部屋を隔てる襖は、既にかたく、閉じられていた。

体の力を抜く。どこにも力を入れることなく、そのまま倒れるように仰向けになり、頭を枕に預けた。目を閉じて、息を吸う。痛みも苦しさもない。障子からは朝日とも夕日ともつかない、朱みを帯びた光が差し込んでいた。それは目を閉じても、網膜の裏にちかちかと焼き付いていて。『もうすぐ』であることは、否が応でも理解できた。

姉さまが、父さまが、兄さまが、ご当主が。

遺してくれたあのときのように、なにかあたしも、皆に言うことはできるだろうか。

 

明々と照る光が炎に姿を変えるころ、意識はまた、深い眠りに滑り落ちていった。

 

***

 

目を、薄く開く。

何度も瞬きをしたけれど、視界はぼけたままだった。外からは白い光が差し込んでいて、大きく息を吸い込むと、遠くから味噌の香りがした。ひどく喉が渇いていて、肘をついてゆっくりと体を起こす。ふらつきそうになりながら、壁を伝って居間へ向かった。香りはどんどん強くなり、炊けたお米と、醤油が少し焦げたような香り。魚を焼いている音と、くつくつと何かが煮える音を、身体中で浴びた。

ああ。

ごはんの時間だ。

居間の襖を開けた。もしかしたら、皆はもう討伐に行ってしまったかもしれない、その一瞬の不安とは裏腹に、襖の向こうには皆がいた。一杯に膨らんだ携帯袋、煤けた防具と、乱れた髪。どうやら、討伐から戻ってきたばかりのようだ。

「母さん!!!!」

息子が、大声を出してこちらへ向かってきた。今にも泣きそうな表情に、そんな大げさな、と思う。きりえがおなじようにこちらを見、ねえさま、と駆け寄ってくる。二人にまるで抱き抱えられるように支えられ、座布団に腰を下ろした。そこで、あれ、と気づく。

錦と話したとき、皆は、討伐に出る前だったはず。

あたしは、どのくらい眠っていたのだろう。

もしくは、あれが夢だった?それとも、これが夢なのだろうか。目の前にはいつものようにご飯が並んでいて、皆がこちらを見ている。湯呑みに手をかけて、水を飲んだ。ゆっくり、飲んだ。

「……どうしたの、みんな」

まるで幽霊を見ているような目でこちらを見ているきりえ、信じられない、という様子のもみじ、錦だけはいつもと変わらないけれど、それでもこちらをしっかりと見つめている。

「おなか、すいたねぇ」

そう口にしたとき、きりえの唇が震えているのが見えた。どうしたの、と手を伸ばそうとしたけれど、自分の手もガタガタと震えている。おかしいな、と思うけれど、止まらない。

「姉上殿」

錦が、目の前に粥を置いてくれた。とろんとした、米の原形をとどめないほどに炊き込まれた粥だ。震える手で匙を握り、一掬いして口に運ぶ。

おいしい、そう思った。二口、三口と、そのまま口を動かす。もみじが、泣きそうな顔をしていた。

「……ご当主、ひとつ、きいてもいいかな」

表情が、少しだけ動く。あたしの問いかけに、錦は何も言わなかったが、そのまま、気にせず続けた。

「陽織兄さまの、指輪を抜き取ったのも…あのとき、あんな風に言ったのも、あれは、陽織兄さまの、ためだった?」

我ながら、ずるい聞き方だと思った。こんな風に聞かれたら、はいと答えるしかないだろう。もみじもきりえも何も言わず、あたしとご当主を、それぞれ見ている。

「あれが、最善だと思ったんでさァ」

相変わらず表情の変わらない錦から溢れたのはしかし、肯定でも否定でもない言葉。それが当主としてではなく、錦個人としての気持ちに聞こえて、なぜだが少しだけ、嬉しくなった。そして、伝えたかった言葉が、なんとなく形になっていく。

ああ。そうか。今なんだな、と思った。

「……あのね」

いつのまにか最後の一口になっていた。ぐるん、と椀をなぞるように掬い、口に運ぶ。飲み込んで、息を吐きながら、声を絞り出した。

「弱かった、あたしが言うんだから…信じてほしいんだけどね…」

匙を置いて、手を合わせた。

ごちそうさま。おいしかった。

「みんな、好きな方へ行くので、いいんだからね……どの道も、まちがって、ないから」

どうしようもなくても、戦い続けたことも。

どうしようもないあたしでも、戦う指示をくれたことも。

迷っても。焦っても。どんな手を使っていても。

間違ってない。間違ってなかった。

そうでしょ、ご当主。

からん、と匙が落ちる音がした。

みんなの顔が遠ざかっていく。

どうしたの、と言おうとしたけれど。

もう、何も、動かなかった。

 

遠くに、白く飛沫をあげる水の原っぱが見えた。

ずいぶん早かったな、と。

懐かしい誰かの声が、聞こえた気がした。