大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

討伐前

「なァひたち。ちょっといいかィ」

討伐準備を進めていたとき、障子越しにそんな声がかかった。見れば逆光で、長兄の姿が切り取られている。相変わらず姿勢が悪く、背中は猫のように丸まっていた。それをご当主に指摘されては「仕方ねぇでしょうよ、穂先研いでるとこうなるんでさ」とくつくつ笑っているのを何度も見た。そんなことを思い出しながら、障子を引く。

「兄さま」

「ちょいと相談だ。入っても?」

 

その表情が、いつもと違うものだったことに軽い驚きを覚えながら、兄を招き入れる。いつも可笑しそうに吊り上っている口元は真一文字に結ばれて、眉間に皺が寄っていた。

「ど、どうしたの」

「いんや、別に大したことじゃねェが。なぁひたち。あのあと当主様から手ほどきは受けたか」

「う、うん、まぁ。時間は短かったけど、術のこつとか教えてもらって…それで使えるようになった術もあるけど…どうしたの」

大きく、長い息が吐き出された。少しの沈黙が落ちて、兄の口がゆっくりと開かれる。

「当主様は…焦ってンだろうなぁ。まぁ気持ちは分からんでもないが。携帯袋に、例の笛が入ってんのが見えてな」

「例の笛?」

「あァそうか、知らねェか。時登りの笛っていうんだが、討伐を延長しなくても、少し長く迷宮にいられる笛で、ずいぶん貴重なモンだ」

兄は片目をぐっと顰めて、絞り出すような声でそう言った。兄が何を言おうとしているかを、いまいち汲み取ることが出来ず、首を傾げる。

「ええと、その貴重な笛がどうしたの」

「あァ…今までそれを使うときは、大概が何かを得たい時だったんでな…有用な術やら武器、あとは指南書。もちろん、スカに終わった時もある。ま、それが目的ならいいが、それにしちゃあ、何を狙うだ何処に行くだってハナシが全く出てねェ。もし、ただ討伐時間を伸ばして、でかい大将倒して先に進もうとしてるなら、迷宮によっちゃあちと、不味いことになる気がしてなァ…」

独特の口調で、淀みなく語られたそれを聞いて、あっと思い至る。少しでも暇があれば討伐記録を読み返すご当主の姿、そして声をかけたときに、捲し立てられたあの言葉。術の手ほどきと、追いつかない体力、しきりに言われた、土の力の弱さ。手に力が篭り、装束をぐっと握り込む。

「…あたし、足、引っ張ってる?」

「あー、やめやめ。そういうことを考えなさんな。言いたいのはそこじゃァねぇよ」

胸に一瞬湧いた弱気な思いを、即座に否定してくれた、その兄の眼光は。それでも、ずっと厳しいままだ。自分の力が足りない悔しさに、思わず唇を噛む。

また、長く息を吐く音がした。庭先から聞こえた、ひょーろろろ、という間抜けな鳥の鳴き声が、場違いに重なる。何をいうべきか、上手く言葉にならなかった。

「お前さんの弱点だって言われてる、その土の力。補う薬を持ってる鬼がいンのは、あのでかい墓でさァ。だがあそこにゃ緑のデカブツがいる。強いし、一撃貰やぁ、しんどい思いをするだろう。そんな中で先に進もうとするのは、ただの馬鹿がやることだ。あれが当主やってんのは、全員の命を繋ぐ判断が出来ると、前当主に判断されたからでなァ。それを忘れるようなら、こっちから引っ張ってやる必要があるだろ、って話。別段そうじゃねェなら、あいつの判断に任せるさ」

そこまでを一気に話してくれたとき、ようやく兄の眉間に刻まれていた皺が、緩んだ。思えば、こんなにたくさん喋る兄の声を聞いたのは、いつぶりだろう。一緒に出かけた時でさえ、ここまで長く喋ることはなかったのに。

「ま、杞憂かもしれねェし。そうなったらそうなったで良し」

「そ、うだね、うん」

「だからなァ、あんまり前へ前へ出るんじゃねェぞ、お前も」

呆れたように笑いながら、兄は立ち上がる。そのまま障子の向こうへ消えていく背中を見ながら、自分では前へ前へ出ているつもりはないけれど、などと思う。それでも、今の話を聞いたあとだと、そうなのかもしれないと思えてならなかった。

戦果を得たい気持ち。ご当主の焦り。

「あたしに、なにが出来るだろ……」

ぽつりと漏れただけの声は、どこにも行くことなく、消えた。