大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

大食うるち 後編

「はい」

「ん」

差し出された湯のみを受け取り、一口啜った。ちいねが淹れてくれたそれは少し薄く、そしてぬるい。その味に、思わず笑いがこみ上げた。

 

「ちょっと、なに笑ってんの」

「いや」

怪訝な顔をしながら、隣にすとんと腰を下ろしたちいねに、何でもないよとひとつ笑って、庭で素振りをするひたちの姿を見る。動きは滑らかで、軽く教えたいくつかの型を、彼女はあっという間に飲み込んだ。

お祖母様、刀削兄上、ワタシ、そしてひたちへ。ワタシがいなくなっても、残っていくものが目の前にある。

本当は終わるはずだった。全て、終わるはずだった。それでも、子に会え、そしてこうして技を継いでいくことへの、形容できない思いが、胸に落ちる。

縁側で、柱に深く背を預けながら、目を閉じた。大きく息を吸うと、夏の残滓が肺を満たし、かつての記憶が鮮明に蘇った。去年の夏は、動けばすぐに滝のような汗が吹き出し、水もお茶も、ちいねやあずまと競うように飲んでいたっけ。このひと月、暑さは感じても汗が出ず、勧められてやっと、水やお茶を口にしていた。ああ、そうか、と思いながら、息を吐く。

「ち、ちょっと、うる」

「ん、大丈夫だよ…ただ」

「ただ?」

「実感していた」

ちいねとの間に、沈黙が下りた。目をうすく開き、眼球だけを動かしてちいねの方を見れば、引き結んだ唇を震わせながら、庭先を見つめている。視線の先では、三つ並んだ藁巻き相手に、真剣な顔をして横薙ぎの修練をしているひたちがいた。ああして横に薙ぐには、見かけ以上に力が要る。安定するまで、ああして反復するのだ。なんども、なんども。また、目を閉じた。

「なぁ、ちいね」

「なに」

「父上は、何を思ってワタシにこの指輪を継がせたのだろうな」

「何回それ言うのよ」

呆れたような、ため息混じりのちいねの声。

彼女の言う通り、討伐隊が出立してからというもの、ワタシは何度も彼女とこの話をしていた。そのたび、素質かもしれない、理由なんてなかったのかもしれない、娘だったからかも、薙刀を使うから…と、結論の出ない話をぐるぐると繰り返している。

「もうそろそろ、本当に、決めないといけないなぁ」

声はどんどん出にくくなり、掠れることが多くなっている。今際の際に、父上と目が合い、そして笑いかけてくれたことを思い出す。ワタシは何が言えるだろう。何が出来るだろう。最近はそればかりを考えてしまう。

「玄さまの母上もご当主だったんでしょう?それで、うるが継いだんだから、旭に任せるのでもいいと思うんだけど」

「うん…いや」

「何か不安なの」

「決め手がないことが不安」

「それもずっと言ってる」

「うん」

「あぁ、ひたちが藁斬りの回数をこなしたみたい。ちょっと行ってくるわね…ねえ、うる」

「ん」

「あんたが、どんな決定をしてもね。家族は…わたしはあんたの意見に従うわよ。あと」

声の向きが変わる気配がした。立ち上がる音がして、遠くに声が飛んでいく。ご当主!ねえさま!というひたちの声。応えるような足音が隣で鳴った。

「あんたが一番、大切にしてきたものはなんなのか、お父上じゃなくて…うるが、何が大事か…そういうことから考えても、いいんじゃないの」

はっと目を開いた。

もう彼女の背中は遠くに行ってしまって、その姿ですら、霞んだ目ではぼんやりとしか見えなかった。

 

走り込むふたりの声が聞こえる。

ワタシが、一番大切にしていること。ワタシが、なによりも大事にしてきたこと。

きみたちにも、だいじなやくわりがあるよ。

自分の声と、それに間髪入れずに応えてくれた、まっすぐな瞳がはっきりと見えた。

 

ゆっくりと指輪を外して、握る。

何度目かの大きな息を吐いた。

規則正しく聞こえていた庭先の二人の声が大きく弾んだのが聞こえ、討伐隊の帰還を知らせるイツ花の声が重なった。戦果をあげた、というあずまと、ワタシの無事を問う旭の声がばらばらと響いた。

さぁ、出迎えに行かないと。膝に、手をかける。

 

立ち上がることは、出来なかった。

 

「次代の当主は、陽織に任せる」

急ぎ敷かれた布団の上で横たわり、指輪を握っていた手をほどく。もう、腕を上げることが出来なかった。ちいねの、驚いたような声が降ってくる。

「うる、あなた…」

「ワタシは、ワタシはね…みんなに、生きていて欲しいんだよ。そのために、最善の判断が、陽織にはできると、思っている」

 何が言いたげなちいねの声を、遮るように、出来るだけ腹に、力を入れて、声を出す。ちいねの言葉が継がれることはなかった。

「あのときの、問いかけですか」

「そうだね…それだけじゃないけれど、ワタシは、あのとき、きみが答えてくれたことが、嬉しかった…旭」

陽織の声に、なんとかして答える。きちんと、伝えておきたいことが、たくさんある。ああ、時間が、あまりにも足りない。息子にも、きちんと。

「俺ぁ母上殿の意見に従うから。陽織は当主に向いてると思う、だから、だから」

そんな顔をしないでくれ、と言う、その声は、涙の波に飲まれてしまった。それでも、ワタシの耳にはしっかりと届いた。

「旭。ありがとう、あずま、すまない、戦果が聞けなくて、ごめん、それから」

息が続かない。胸がつかえるように、声の通り道が塞がれてしまう。咳き込もうとして、失敗した。ご当主、かあさま、母上殿、たくさんの声が降ってくる。そのなかに、かすかな舌打ちが聞こえた。

 

「ちーちー」

 

怖がらないでもいい。ワタシが、先に行って、あの世で踊りと小唄を習うよ。だから、まぁ、覚悟しておいて。

 

どこまで声に出せたか、自分では分からなかったけれど。

あの日、笑った父の顔が、ふっと浮かんで、そして、消えた。