わたしのばん 後編
約一年ぶりに足を踏み入れた白骨城。
陰鬱な空気も薄気味悪い鬼も、寸分変わらずそこにあった。それでも、丁度一年前に兄さまと取ってきた武器を振るう当主は、その空気ごと切り裂いてゆくようで。しかしずいぶん上まで来て、あっさりと目的の槍を手に入れたとき、今までの勢いはどこへ、玄はくるりと踵を返して言ったのだ。
「目的のものが手に入ったから、あとはその武器で下の階の鬼を相手取ろう」
刀削も甘明も、玄の言葉に頷くのみだったが、それがわたしのことを気遣っての言葉だということは、ここにいる誰の目から見ても明らかなのだろう。
骨の階段を上る足が震える。槍の柄を、意識して握り込まなければ取り落としてしまいそうになる。そんな自分の状態が、かつてここで最期の時まで戦った、姉さまの姿と被る。
「し、薯芋花さん。大丈夫ですか。肩、支えましょうか」
しどろもどろになりながら言う刀削は、言いながら何故だか泣きそうになっていた。見れば、甘明もおなじような表情でこちらを見ている。不意に、君たちは本当によく似ているねえ、と嬉しそうに笑う父さまの声が聞こえた気がした。
「いいえ、大丈夫。そろそろ討伐の刻限ね。帰りましょう」
一息で言って、大きく息を吸う。息が続かないというのは、あまり気分のいいことではないんだな、とぼんやり思いながら、足を進め、そして、痛みも苦しさもなく、わたしは意識を手放したのだった。
***
夢を見ていた。
雪が積もって、ひどく冷えたあの日だ。父さまと姉さまと兄さまがいる。みんなで縁側に出て外を見て、父さまが何杯目かの雑煮を啜っている。おなかをこわしますよ、とたしなめられている声を聞きながら、わたしたちも食べる、と炉のそばへ駆けていったあの日の。そうだ。今は冬で、だから寒いのか、そう思ってようやく、意識が現世に帰ってくる。蒸せるような暑さが、じっとりと肌にまとわりついていた。
「目を覚まされたのですね、薯芋花さま」
イツ花の声。みんなは、と口に出そうとして、喉の奥が張り付いたように声が出なかった。
「いま、玄さまが交神に出られています。もうお戻りになられると思いますよ」
なにかお召し上がりに、と続く言葉を遮って、枕元にあった漢方を飲む。あまりの苦さに鼻をつまんで、ゆっくりと飲み干した。そうしてまた、落ちるように眠りにつく。
何度か、同じことを繰り返した。夢の中で父さまは亡くなり、姉さまも兄さまもいない。たったひとり、暗闇を彷徨う。人影は見えるけれど誰か分からず、そうして起きて、漢方を飲み、ゆるい食事をとり、また眠る。幾日も幾日も、同じことの繰り返しだった。
「母上が言ってたのよ。やるべきことをきちんとしなさい、って」
娘の声だった。いまが何時なのかもわからないけれど、どうやらまだ自分は生きているようで。
はやくはやく、と呼ばれている気がするのは、どうしてだろう。誰に呼ばれているのだろう。曖昧な意識の中で、ぼんやりと声を聞く。
「なら、いまのわたしたちにできるのは、母上のそばにいることじゃ、ないわ。心配だけど、ほんとうは家にいたいけど、わたしだっていつまでも後衛で、兄さまやご当主に守られてるだけじゃ、ないもの」
甘明、いいこね。あなたは、強いわ。
起き上がって撫でてあげたいけれど、それも叶わない。
そもそもこれはわたしの願望かもしれないなぁ、なんて思いながら。
また、滑り落ちるように意識が遠のいた。遠のいた意識の先に、先に逝ったみんなが見える。おいで、薯芋花。いいこだね。ああ、父さまは、わたしの頭を撫でてくれるだろうか。姉さまは待っていてくれるだろうか。兄さま、怒ってないかしら。
****
ばたばたと音が聞こえる。鎖帷子が擦れる音と、石甲を脱ぎ捨てる音だ。武器や防具をなが捨てるような音が、飛んでいきそうな体を繋ぎ止めたようだった。大丈夫よ、生きているわ。その声すら出ない。
三人が何か言っている。その声が、逝ってしまった三人なのか、娘たちなのか、それもわからなくなっていた。高く結った髪が見える。ああ。きっと、姉さまたちだわ。
穏やかな気持ちで深く息を吐いたとき、口の端から、声がこぼれた。
やっと、わたしのばんなのね。