大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

最終決戦①

もはや嗅ぎ慣れてしまった血腥さのなか、不安定な足場を進んでいく。
足を進めるたびに響く、不愉快な粘質音。踏みしめているのに、前に進んでいるはずなのに、あまりに変化のない赤黒い景色。押し寄せる鬼の群れに、物理的に足元を掬われるような心地がして、思わず大きく息を吐いた。弓を握りしめると、硬くなった指先の皮膚が、やたら強く存在を主張してくる。僅かな違和感に手元を見て、ああ私は震えているのかと、そう思った。
けれど歩みを止めるわけにはいかない。この階段を、この道を、踏み外してなるものか。脳みその中で自分を鼓舞しながら、つま先に意識を遣る。
上へ、上へ、止まるな、止まるな。
一段一段上がり幅の違う段差に足を取られそうになりながら、足を進める。たまらなく底意地の悪い作りに、この場の主の、純真無垢な悪意が透けている気がした。

「楽紗」
最後の段差をなんとか上り終えたその瞬間、聞き慣れた声が耳に届いた。落としたままだった視線を上げれば、見えるのは、妙に開けた空間と、白く骨張った背中。こちらに顔を向けない文太の表情は、当たり前に見えない。
「この先だ」
声に震えはない。いつものように平然と告げられた言葉。首肯だけで返したのち、これでは伝わらないと、首を振って思い直す。
「文太、六兵衛、ひかり」
名前を呼んで、足を止めた。私のほぼ真横を歩いていた六兵衛とひかりが、文太に並んでこちらへ振り返る。真一文字に引き結ばれた、息子の口元。いつもの下がり眉に、少しだけ緊張の色が滲んだ六兵衛の表情。文太は、前を向いたままだ。
腹に力を入れた。せめて声は震えないように、当主としてかけられる言葉を。そんな考えが一瞬、頭をよぎった。
「ええと」
けれど、気の利いた言葉など出てくるはずもなかった。拍動のような音がそこかしこから響いていて、ぶるぶるとした壁がこちらへ迫ってくるような感覚に、頭がうまく回らない。一層強くなる腐臭に、胃の腑が迫り上がってくる。頭の中にある言葉の端を、なんとか掴みたいと思うのに、それが声にならない。
六兵衛が気遣わしげにこちらへ視線を投げてくる。その向こうに、六兵衛とは違う色の赤が、見えた。
「ははは!茶番、ご苦労さん!」
直後響いたのは、心底楽しそうな声。六兵衛とひかりが、はっと声の方へ向き直る。文太の背が臨戦態勢を取り、ひかりが刀を抜く音が走った。場に殺気が満ちる。その間で震えごと弓を握りしめ、三人の向こう、唇を吊り上げて笑う顔へ向かって矢をつがえた。避ける暇を与えぬよう、間髪入れず放つ。
「まったく、血の気が多いったらないね、君たち」
しかしその矢は対象を捉えることはなかった。大袈裟に肩を竦めながら、一足で矢を避けたその仕草に、胸の内がざわりと粟立つ。
「ちゃんと戦いの場は用意してあげてるっていうのにサ!ほら、この柱の先」
「抜かせ」
文字通り、吐き捨てるような文太の言葉。地面を蹴ろうとするその動きを、待ってと制する前に褐色の腕が動いた。文太の前に、大きな扇が翳される。文太の肩がぴくりと動き、そして構えはそのまま、足だけが止まった。
「ははは!賢明な判断だよ、踊り屋クン。戦いの場はここじゃなくてこの柱の先だ。なに、真っ直ぐ進めばいい。どのみち帰り道はないしね!」
赤毛が笑いながら指差した先、柱の中程に先程放った矢が刺さっていた。その矢と、こちらを見比べるように、嘲りの視線がはっきりと投げて寄越される。一層、赤毛の口の端が吊りあがったのが見えた。
「まぁ、こんな茶番にわざわざ付き合ってあげたんだ。隙だらけなのに攻撃も当てられない当主サンでも、その場からかけらも動けない剣士クンでも、ちょっとは楽しませてくれるよね?」
ひかりが息を飲んだ音が、やたらはっきり耳に届いた。相反するように、あはははは、という嗤い声は急激に遠くなる。そして見る間に、赤毛の足元に広がった禍々しい印へ、その姿ごと吸い込まれていった。
柱の先。地獄の底で、地獄への入り口が口を開けている。
相変わらず拍動のような音は断続的に垂れ込めていて、耳障り以外の何物でもない。その沈黙の中で、六兵衛の翳していた扇が畳まれ、ひかりが刀を納めた。鍔が鞘に当たる金属音が、まるで区切りのように響く。

「なぁ」
深呼吸をひとつしてから、目の前の三人へ声を掛けた。ひかりが弾かれたようにこちらを見、六兵衛が真剣な顔で振り返る。文太が、わずかに体をこちらへ傾けた。
「どう思った」
ぐるりと皆を見回したあと、なるだけ簡潔にそう問うた。誰からどんな答えが返ってきてもいい。そう思いながら。六兵衛がうーん、と考え、ひかりは口を結んでいる。
「そうだな」
口を開いたのは、文太だった。声音は変わらない。いつもと同じ、震えもない平坦な声。けれど顔に、今まで前だけを向いていて、見ることができなかったその表情に、明らかな怒りが浮かんでいた。
「ぶん殴ってやりたい」
偽らざる本音だ、と、考えなくても分かった。青い瞳に、強い光が揺らめいたような気がした。
「同感」
「お、おれも!」
間髪入れず、同調するように両脇の二人からも声が上がった。それにひとつ頷いて、短く息を吐く。
「私もだ!さぁ、ぶん殴りに行くぞ!」
こねくり回していた思考は、えらくはっきりと簡潔に纏まった。

ぶん殴る。
そして、帰って、飯を食うのだ。
そのために進む。それ以外のことは、いつのまにか頭の埒外へ消え去っていた。

迷いなく、印に向かって足を進める。
どくり、という音。

踏み出した一歩。視界は、ぐにゃりと暗転した。