大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

つきる①

懐に忍ばせた養老水が、歩くたびにたぷん、と音を立てている。
高温の蒸気が吹き上がる音、溶岩が流れ落ちて地面を焼く音、鬼たちの足音、何かが煮えるような音。家族が話している。気勢を上げる声が祠に響く。これだけ色々な音が同時に脳へと届いているのに、微かなはずの、たぷん、たぷん、という水音は、やけにはっきりと耳に突き刺さっていた。

装束の上から、薬壺を撫でる。
どうか使うことがありませんように、と。
ただただ、祈った。

***

「緑の鬼、あれだ。あいつを重点的に狙おう。放っておくと自爆しちゃうから、とにかく集中して皆で叩く。時間を見ながら、頃合いをはかって奥へ進む。いいかな」
娘が、いや、当主が口を開いた。唇は乾いて色が失せていたし、熱風は喉を焼くのだろう。口早に告げられた言葉に、全員で頷いた。
滴り落ちる汗が、目に滲みる。腰にさした二振りの刀をなぞりながら、息を整えた。
「兄さま。お体は大丈夫ですか」
「問題ない」
夢の問いかけに、短く返す。よかった、と安堵の表情を浮かべる彼女を、立ち上る蒸気の向こうから、むぎが見つめていた。その顔に、いつもの快活な色が見えず、思わずむぎの方へ足を進めた。
「……どうした」
問いかけてみても、しかしむぎは黙って首を振るだけで、言葉を発することはなかった。夢の心配そうな視線が、俺とむぎの間を行ったり来たりしている。
「ねえ!そろそろ笛を吹くよ。もう少し戦って、奥に進もう。父さま、ねえさま、それでいい?」
隊の後方から、当主の声が響いた。
三人で頷く。噴き上がる溶岩を劈くような笛の音が響き、直後にぐわんと頭が揺れた。
目の前には鬼。
集中するべきだ、と。
低く掠れた、ここにいない当主の声が聞こえた気がした。

*****

どろどろとした溶岩はなく、代わりに、踊るような炎が辺りを包んでいる。熱風か場を支配し、喉を焼いて呼吸が覚束ない。少しでもましになればと口に掛けていた布覆いさえ熱を持ち始め、慌てて外して捨てた。それが地面に触れるや否や、あっという間に灰になっていくのが見え、額を嫌な汗が伝う。しかし腰の刀は燃え上がるようで、早く振るってくれと声をあげているような気さえしていた。
この場に足を踏み入れる直前、あのいけすかない赤毛の男が、ふわふわと浮かびながら猫の話をしていた。扇を握り締めたまま睨みあげる娘の姿を、面白そうに見下ろす男。斬りつけたが、結局無駄に終わった。
猫。それは場違いな煽りかと思ったが、どうやらそうでもなかったらしい。嘲るような響きで恨み言を口にする女は、獣の耳と尻尾を生やして、けらけらと笑っている。
刀を構えた瞬間、猫は夢のもとへひらりと降り立った。しまった、と思ったが反応しきれず、爪を立てる姿だけが間近で見えた。槍と爪の応酬、肩口から散った鮮血が炎に照らされる。夢、と叫ぼうとしたとき、即座に回復術が夢の体を包んだ。反撃よりも回復を優先した姿に、ほっと息を吐く。
「私がアイツを眠らせる!成功したら、兄様の力を頂戴!当主様、いい!?」
「わかった、お願い!!」
むぎが術を唱える声。寝かしつける優しさなどない、脳髄をぶん殴るような強い声。ゆっくりと、相手の動きが、止まる。
「どーーーよ!!!!」
術が効いた。むぎの拳から炎が上がる。それが、はっきりと好機を告げていた。
「やった!夢ねえさま、兄様とむぎ姉様に、萌子をお願い!このまま畳み掛けるよ!!」
頷く夢が、術を唱える。
地面を蹴り、一足で敵の懐へ。動かない相手には隙しかない。少しでも多く傷を負わせられるよう、体勢を整えた。腰を落として膝で体を支える。爪先に力を入れ、腹に息を落とす。そうしてもう一歩、鬼の方へ足を踏み出す。その勢いのまま、構えた刀を振り抜いた。
鬼の体に裂傷が走り、そこを炎が焼いていく。ぶすぶすという耳障りな音とともに、鬼の体が思い切り、仰け反った。
「効いてる!兄様、さすが!」
言いながら、むぎが飛び込んできた。彼女の拳が連撃を放ち、焼いた傷を広げていく。血飛沫が上がり、耳障りな悲鳴が迸った。そして閉じていた鬼の目が、ゆっくりと開き、こちらを捉える。
まずい。目を覚ました。
にたり、と吊り上がる口元。それを視認した瞬間、ぐにゃりと、視界が歪んだ。
大きな爪の生えた手が、目の前一杯に、ゆっくりと揺れて、陽炎と一緒になって、その向こうに、猫、家族の声、悲鳴、こっちへおいで、声が、こっちへおいで、生温い、嫌悪を引き摺り出すような、やめろ、呼ぶな、刀に手を掛ける、影を斬らなくては、目の前の、あの、白と赤と白と赤と灰色と白と赤と、そうしないとだめだ、斬り伏せなければ、あの猫は性質が悪い、無駄な命を、無駄だと、ふざけるな、手が見える、爪、半月、ゆっくりと、ゆれて

「しっかりしてよ!!!!!」
乱暴な音とともに、顔に何かがぶつかった。そのままばしゃん、ばしゃんと水の音がして、くらくらとする頭を押さえて、そのまま手で顔を拭った。灰ごと流れ落ちたのか、拭った手がどろりと黒い。ぼやけていた焦点、それが急速に像を結び始める。
むぎが仙水酒を、全員に掛けたのだ。
ぽかんとした娘の顔、なにかを堪えるような夢の顔、悲痛なまでの焦りが浮かんだむぎの顔が、はっきりと見える。
「むぎ、すまな」
「あーあ!つまんない、目、覚めちゃった?そのまま同士討ちでも見れたら面白かったのに!ここで祟りまくるのは天界よりずっと楽しいけど、仲良い家族が殺し合うのを見るのは、もっと楽しい!あの阿婆擦れだっておんなじでしょ?でなきゃ、こんな悪趣味なことしないよ!アハハハハ」
俺の声を遮るように、鬼が大声を上げた。
哄笑。その声に腹の底から怒りが湧いた。この鬼は、今まで戦ってきた相手とは毛色が違う。愉悦のためだか、恨みだか、そんなもので俺は、命を弄ばれているのか。腹を沸沸と焼くその怒りに任せ、そのまま刀を振り上げる。体勢を整えることなどできない。何の型もなく、ただ、自分が負わせた傷に向かって、全力で思い切り、刀を振り下ろした。
肉を裂き骨を潰す感覚が、掌に伝わる。びしゃ、と生温い液体を顔中に浴びた。舌打ちとともにそれを拭ったとき、痛みなどまるで覚えていないような嗤い顔が目の前にあった。
囁いたのが聞こえた。

「どーせ、アタシは、死なないんだ、アハハハハ…………」

立ち上る灰のような煙を見送りながら。
羨ましいことで、と。
そう思った。


②に続く