大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

いつもの通り、いなくなるだけ 後

紅蓮、と言うだけある迷宮だった。

 

燃え盛る炎、足を焼く溶岩、どこを見ても紅が流れ落ちていた。じりじりと身を焦がすそれらを、道具を使ってやり過ごしながら足を進め、鬼を殲滅していく。

見知った雑魚大将が列をなして襲ってきても、一際大きな鬼が、長い回廊を駆けてきても、そのたびひたちの薙刀が冴え、当主様の拳が砕いていく。槍を握る力も落ちることなく、貫いた先にはこれまで通り、鬼が抱えていた道具が落ちていた。危惧していたよりずっと呆気なく、そしてあっという間に、迷宮深くまで足を踏み入れる。目的のものもずいぶんあっさりと手に入り、その先にいた鬼はといえば、たんまりと戦勝点を抱えていた。それはつまり、ここまで来ることさえできれば、今後若手の修練に困ることはないだろう、ということだ。

指南書や術はもちろん、「当主」にとってみれば、こんなに重要な戦果はないだろう。今月はここまでだな、と呟く、赤い炎に照らされた横顔は、満足そうに綻んでいた。

帰路につきながら、ひたちは、次から次へと滴る汗を装束の袖で拭いながら、我先にと歩を進めていく。

「溶岩って、こんな風なんだ。汗が止まらない……早く出たいな」

「んー、まぁ確かにあっついなァ」

ひたちの呟きに同調しながら、息を吸い込む。肺までが熱くなる熱気の中、ひたちは満面の笑みだ。ねぇ、あたし手を繋ぎたい!なんて言うものだから、仕方ないなと指先を伸ばした、その時だった。

一瞬、焼け付くような痛みが、胸に走った。反射的に胸を押さえ、槍の柄を地面につく。しかし、細い槍は体重を支えられずに尖った地面を滑り、そのまま、体は前のめりに傾いだ。二人の悲鳴が、溶岩が吹き上がる音に混ざる。駆け寄ってくる足音は、どうにも遠くて。

あーあ。やっちまった。

そう思ったのを最後に、意識は暗転した。

 

***

 

見慣れた天井。二、三度瞬きをすれば、ぼけた視界がしっかりと像を結ぶ。体が布団と同化してしまったように、ただただ、怠い。

「旭兄さま!」

突き刺さるようなひたちの声に。思わず眉を顰める。直後、次々と覗き込んでくる顔に、見知らぬ顔が混ざっていた。その子を除く全員がすでに戦装束を身にまとっていて、それが誰なのかはすぐに合点がいく。同時に、そんなに長く寝ていたのかという絶望めいた感情が、胸に落ちた。ゆっくりと、体を起こす。錦の手が右から伸びて背中を支えてくれ、その後ろに、泣きそうな顔をしているきりえが、ぼんやり見えた。

「旭兄さま、わたしのお子よ!名前はもみじ、剣士になってもらったの」

「あァ…」

視線を戻せば、正面にあるのはよく似た面構えだ。赤いまなこも、燃えるような髪色も、まるで瓜二つ。剣士、ということは、兄の職を継いだのか、まぁそうだわな、と、頭の中で兄のことを思い返す。実直で、言葉少なだった兄の、今際の際。足を引きずりながら回廊を上がったあの時のこと。目を合わせれば、小さく頭を下げてきたのに合わせて、よろしく、と呟く。遠くで、虎落笛が聞こえた。

「兄上。もみじの訓練をお願い出来ますか。訓練の内容は、こちらに記してあります。ひたちが本人に粗方伝えたようなので、決して無理はせずに。今月は親王鎮魂墓で錦ときりえを鍛えます。三人で討伐に行った折に見つけた術の巻物を取って、必ず帰りますから」

そう、早口で呟く当主様は俯いたままだ。伏せられた顔が、いつにも増して白い気がする。手元に視線をやれば、かすかに震えているのが見えた。

「はいはい、訓練な。ま、なんとかやってみらぁ。んな顔しなくても、当主様達がお帰りになるまでは、死にゃしませんってェ」

ひらひら、と手を振って、いつものように言ってやる。当主様の口元が引き結ばれ、ひたちが音を立てて唾を飲み込んだのがわかった。死ぬ、はまずかったか、と思いながら、いやでも本当の事だしなァ、と思う。

やがて家族たちはぞろぞろと立ち上がり、そのまま討伐準備に入っていった。金具が擦れ合う音と話し声。それを聞きながら、また眠気に絡め取られていく。自分の呼吸の音が聞こえることに、少しだけ安堵しながら、そのまま目を閉じた。

 

***

 

訓練は順調だった。

ひたちが残していった訓練表は優秀で、俺はほぼ、縁側で茶を飲みながらその様子を見ているだけだった。簡単な術の手ほどきと、兄の剣筋を思い出しながら、構えや踏み込みを見てやる。どうですか、と聞いてくるその目には、どうにも頑固そうな光が見て取れた。

訓練終わりに、飯を囲む。

大盛りの白飯と、根菜の煮物がすいすいとなくなっていく皿。もみじの、気持ちのいい食べっぷりを横目で見ながら、さて自分はといえば、いつだって食欲はなかった。

それでも、出来うる限り、固形物を胃に運ぶ。それは訓練を見てやるためでもあったし、ああ言った手前、さっさと死んでしまうことがないようにするためでもあった。

しかしそれも、だんだんと叶わなくなっていく。咳き込み、咽せることが続いた。見かねたイツ花が粥を用意してくれるようになったのが、月がそろそろ終わる頃。もうすこしだったのになァ、と思いながら、飯を喉に詰まらせて死ぬ、なんてことがあったら元も子もないか、と思い直す。

訓練を見、粥を啜り、眠る。その繰り返しの中で、もみじとは色々な話をした。

呪いのこと、自分が息子に伝えた言葉、飯を食うこと、いまの当主様のこと、訓練のこと、剣士とは、兄のこと、ひたちのこと。とりとめなく、まとまりのない話でも、もみじは真っ直ぐな眼差しでただ、頷く。不器用そうだなァ、と思った。

そうして、日々は砂が落ちていくように進む。兄や姉、そして母がそうであったように、だんだんと寝ている時間が長くなっていく。それは眠気ではなく、意識が滑り落ちるような感覚だった。自分の呼吸の音と、耳の奥で聞こえる心音が、だんだんと違うものにすり替わっていくような感覚。もみじが心配そうな顔でこちらを覗き込んでくる回数が、やけに増えた。そのたびに頭を撫でてやりながら、大丈夫だ、と声を掛ける。

大丈夫。

そう。いつものことだ。

こうやって、皆。

それはきっと、幸せなことでもあるんだと。

口には出さないまま思った。

障子の隙間から、濃い夕闇が忍び込んでくる。先ほどまで燦々と照っていた太陽は、すっかりお山の向こうらしい。もう一度眠ってしまおうと、もみじに断りを入れてから、布団に入ったそのときだった。

玄関扉が勢いよく開く音がした。討伐隊のご帰還です!というイツ花の声、直後にばたばたと足音が四つ。防具が擦れる音と、長い柄が床に転がる音。重たい金属音。それらを引き連れて、真っ先に部屋に入ってきたのは、陽織だった。

「兄さん!」

耳に飛び込んできた声。兄さん、そういえば、そう呼ばれていた時もあった。陽織が当主を継ぐ前のことから、今の今まで。頭の中に、一気に色々な映像が浮かぶ。噂には聞いていたが、走馬灯というのは本当にあるのだな、と、なんとなく思う。ああ、ひたちが、泣いている。

「皆無事だ、術も手に入れた」

口元が歪んでいる。そういえば、ずっと自分の家系が当主であったから、コイツは兄を看取る最初の当主になるのか、なんてことを思う。今は、どうでもいいことかもしれない。

「旭兄さま、旭兄さま……!」

ひたちの目からは絶えず涙が溢れていて、きりえがその背をさすっている。半開きになったきりえの口から、しゃくりあげるような声が聞こえた。後ろにいる息子はといえば、眉根に皺を寄せてこちらを見ている。その顔が、ああ、自分とよく似ていて。なんだか嬉しくなった。場違いもいいところだ。

「兄さん…兄さ」

「あー、もう、当主様。あんたがそんな顔して、どーするんでさァ。俺ぁちょっと、寝るだけだ」

はっ、と目が見開かれた。若草色。春の色だ。

もう、俺がやれることは、きっと何もない。いつだって、何もなかったのだろう。そう思いながら、口を開く。

「あんたが、これから、家族の一番上になるんだから、家族のこと、見ていかねェと、いけねぇんだから」

いつだって背負い込む弟に、発破をかけてやろうとして、しまった、呼吸が続かない。いつものように、と思うのに、今際の際、そうはいかねェもんなのか、と、腹に力を込める。

「なァ、当主様よ、そうだろ」

白い肌が、ひとつ頷くのが、暗くなっていく視界の中で、はっきりと見えた。自分が目を閉じているのか、開けているのか。それすらも、わからない。

境界が溶けていくのを感じながら、それでも、最後は、そう。

「眠い……ちょっとだけ、寝させて貰うわなァ」

いつも通りに。

それがいい。

 

大きく、息を吐き出した。

自分の呼吸音が、ゆっくりと、消えていった。