経験者はかく語りき
「戦果は上々だな!」
勝鬨をあげるような兄の言葉に、頬を上気させたまま何度も頷いた。まさしく、戦果は上々。
母上も、いま真横にいる兄のお父さまも、延々狙い続けた指南書。なんども討伐を重ね、手に入らなかったそれがいま、わたしの手の中にある。
煤けて、背表紙はほつれてしまっているが、中を捲れば文字はしっかりしていた。これなら、問題ないだろう。ひとつ大きく、息をついた。
指南書だけじゃない。討伐の戦果をしまう為の頑丈な皮袋のなかには、火の術とおぼしき巻物が二つ刺さっている。乱雑に詰め込まれたそれは、間違いなく、家で待つ2人の力になるはずのものだ。
「なぁ、甘明」
ぽつり、と静かに漏らされた名前。兄のこんな声を聞くことはあまりなく、一瞬反応が遅れる。
「何でしょうか」
「玄の子さぁ、薙刀士だってよ」
「ええ、そのように仰ってましたね」
先月の末に来訪した当主さまのお子は、家に来たその瞬間からよく、本当によく笑っていた。快活で、わはは!と笑うその姿は、母を喪ったばかりの私には、少し眩しすぎる光だったけど。それでも、少し照れたように笑う当主さまと、それを揶揄う刀削兄上の姿は、間違いなく家を明るくしてくれた。
「どうしたのですか?」
「いや、な。アイツ、なんで薙刀を選ばせたのかなって思ってな」
「なぜって」
「アイツがさ、俺の力を買ってるとしたら、そりゃ嬉しいことだ。けどな。俺はこの武器を使いこなすには風の力が必要だと思ってる」
兄上の顔を見れば、その目線は遥か遠くを見ているようで、視線の先になにがあるのかを、わたしは読み取ることが出来なかった。
「けど、玄の子には、多分俺のような風の力はない。アレは、アイツの火の力を、多分濃く継いでるんじゃないかと思うんだよ」
「火、ですか」
兄上の風の力。疾風のように敵を薙ぐ姿。
当主さまの火の力。敵を一閃で焼き切る姿。
わたしはその背中を追ってここまで来たから、その言葉はとてもよく理解できる。そして、うるちが火の力を継いでいるということもまた、理解できた。
「アイツに、これは使いこなせない。なら、どうして、薙刀を選ばせたのか」
「えっと」
「多分、アレを見越してのことだろうと思う」
言い淀むわたしを導くように、兄上はすっと後ろ手に指を向けた。その先に、明らかに火の力を宿しているであろう薙刀が見える。そしてそれを持っているのは、浅い緑の大きな鬼だ。
「だけどな、もう時間がねぇ。ずいぶん大事に抱え込んでるから、アレを奪うには時間がかかるだろう。だから」
一区切りして、真っ直ぐにわたしの目を見る兄上の、瞳の奥に炎がゆらめく。
「討伐を延長しないか」
どきり、とした。
討伐を延長すれば、鬼の動きは活発になり、手に入りにくい武器や防具があっさりと手に入ることがある。きっと兄上は、それを狙って、言っている。
そのこと自体は母に聞いて知っていたけど、いざ自分が判断を迫られるとは思っていなかった。討伐の刻限はもうすぐそこに迫っている。目の前の鬼。そして、兄の声。ここは、九重楼で。
「いいえ兄上。帰りましょう」
「甘明」
わたしの名前を呼ぶ兄上。
その声は決して不服そうでは無かったけれど、少しだけ意外そうな色を含んでいた。
今まで後ろをついてきたわたしが、こうしてはっきり、すぐに意見を言ったのは、自分で思い返してみても初めてだったから、それは至極当然かもしれないなぁ、なんて思う。
「理由を聞いてもいいか?」
次にかけられた声は優しい。この人は、案外熱くて、案外優しいのだ。
「兄上、当主さまに討伐を延長すること、話してきたわけではないでしょう?」
「え、ああ、まぁな」
「だからですよ」
あっ、と。少しばつが悪そうに寄せられた眉根。少し意地悪をしたかなぁ。でも、これは、紛れもなく本音だ。
九重楼に出た討伐隊を待った、あの日のこと。母上の胸に顔を埋めて泣くことしか出来なかったこと。
「前触れなく討伐を延長されると、家で待ってる家族は、不安になるものなんです」
言い切ったあと、兄上は天井を仰いだ。おそらく、同じ月のことを考えている。あの月、この人は、きっと自分の父の背中を、ここで見つめていたんだろう。
「わかった。帰ろう」
数瞬の静寂のあと、下された決断。ほ、と心の中で胸を撫で下ろした。
案外優しくて、案外熱い、少し変わった、わたしの兄上。いつも飄々としているその背中を見ながら、帰り道で、ふと疑問が浮かんだ。
「兄上、当主さまのお子のために、討伐延長を考えていたのですよね?」
「ん?あぁ、まぁ。どうした?」
「いえ、そこまでされるのは、何故かなあと」
順当にいけばお前、来月交神だからな。そう当主さまが仰っていたとき、傍目から見ても浮かれた兄上が、俺も美人の女神さまに会えるのかぁ、なんて言っていたから。その姿と討伐延長を決めようとしたあの、兄上の姿がどうにも、頭の中で一致しない。
「あー、まぁ、それはな、俺が使ってみたかったんだよ」
あ、照れ隠しだ。そっぽを向いたままの兄上の顔を見てやろうと、地面をぐっと蹴って回り込む。しかし、ずいぶん真面目な顔をしていた。
しかし次の瞬間に、とても柔らかく笑って。
「あのな、家で待ってる時にな。自分のために武器を取ってきてくれる、ってのは、嬉しいもんなんだとさ」
一陣の風が吹いた。ずいぶん冷たくなったそれに急かされるように、競うように、その日、わたしたちは家路についたのだった。