大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

最終決戦④

「た、太照天っ!!」
少し上擦ったひかりの声とともに、四色の淡い光が場を満たしていく。
血腥さと肉肉しさが溢れかえったようなこの場では、何度も見たはずの色をうまく認識することができない。ちかちかと明滅するそれらと、息子が術を唱える音に身を任せながら、ただ手の中の弓を握り込む。落ち着け、落ち着け、と頭の中で繰り返し、短く息を吸って腹に力を込めた。


「ブン、動けるか!?」
吐き出すように、頼れる弟の背中に向かって声を張り上げた。出来る限り、攻撃の手を緩めない。最早考えつくのはそれくらいで、ならばそれをやるしかないのだ。焼ききれそうな緊張が、心臓の鼓動を早める。どくどくと煩い音の隙間で、肯定のかわりに肉床を蹴り出し、瞬きの間に相手の懐へ飛び込む姿が見えた。
そして耳に届くのは、拳が硬い肉を打ち付ける、どこか異質な音。どん、とめしゃ、と間のような音が二発。攻撃は、間違いなく入っている、けれど相手の体は傾ぎもせず、かすかに見える赤毛の表情はやはり、にたにたと笑ったままだ。直後、ぶおん、と風を切る音。大振りで雑な爪の一閃を、文太が身を屈めて躱す。続けざまに足元へ爪が走り、ひょい、と飛び上がった文太の踵下を、大振りな腕が抜けていった。まるで猫がじゃれているだけのような、そんな光景。躱すのは容易なのだ。しかし、こちらが狙うべき腹は文太の向こうにある。矢を放てば、文太を貫くだろう。
「そうそう……あの哀れな男、源太って名前だっけ?」
奥歯がぎり、と鳴る。狙いが定まり切らないなか、嘲りまじりの言葉が文字通り降ってくる。文太の背中がやけに遠い。指輪はもう、うんともすんとも言わないのだ。肯定も否定も反論も出来ないまま、ただ赤毛の笑い声だけが響く。畜生、と弓を握りしめた、ときだった。

やばい。

漏れるような声が後方にいる六兵衛から聞こえた。ざわりと肌を撫でる悪寒。なにか来る、それは分かる。けれど、分かったのはそれだけだった。
「あははははっはははっはははははははははははは!!!!!!」
けたたましい笑い声。瞬間、轟音と共に、頭上から視界いっぱいに水の渦が飛び込んできた。息を止め、反射的に顔を両手で庇う。今は眠りの中にいるわけではない。だから全員を、位置を、立っているかを確認しなければならない、そう思って手を下げ、直後それが愚かな失策であることを悟る。そのまま襲ってくる水をまともに受けてしまい、瞬間、息が止まった。真名姫、そう、水の高位術だ。肌を焼くわけでも、身を切りつけてくるわけでもない。けれど、あまりにも単純にただ大きな水の圧がそのまま腹を、足を、体全体を押しつぶしてくる。もがくことさえできないまま、正面から、そして背後から水が押し寄せてくる。身を屈めようとしても、当たり前のように上手くいかない。押されるように床に倒され、あっという間に身動きが取れなくなる。息が吸えない、吐けない。肺が潰れる濁流の中、せめて流されまいと必死に矢を握り、肉床に突き立てたのは反射だった。ぶるり、と嫌な感触が、手のひらに伝う。
「ねえ、教えてよ。君、さっきその懐剣で、何をしようとしたの?」
唸り声のような水音に混ざって、やけにはっきりと耳に届く、声。眼球を動かすのがやっとで、しかし視界にあるのは血混じりの水と肉色の床ばかりだ。
「ねえ。可哀想だね、君たちは。ははは、君はさっき、わざわざ親切にも、ボクに君の母親のことを教えてくれたけど、実際君の体を乗っ取って動かしたのは君の遠い先祖じゃないか。そいつにいいようにされて、ここで命を散らすしか出来ないなんて!ねぇ、なんて無様だろう!」
赤毛の声が、水が引いていくのに合わせるように大きくなっていく。反論のために顔を上げ、そして腹に強烈な痛みが走る。おそらく着込んだ鎧が砕けたのだろう。手放してなるものかと握り込んだ弓だけが無傷だった。
「君はそこで這いつくばって、なぁんにも出来ない!はは、ねえ、弱い母親もいたもんだ!ねぇ、剣士クン?」
自分より手前に放り投げられた言葉が、誰に向けられているものか理解していた。ここまで、なぜ。この男に。
「思い出すよ。紅蓮の祠で炎に巻かれた彼女のことを!攻撃ひとつまともに出来ない、家族に守られることしか出来ない、挙句の果てに火傷まみれのあんな体になってねぇ!せっかく死地から蘇ったっていうのに?ああ、まったく無様だった、今の君と同じように……ああ、そうかぁ、つまりサ」
赤毛の口は止まらない。光の粒子が目の端でちかちかとして消え、同時に痛みが引いていく。合わせて届く、耳を貸すな!という怒声。傷が癒えていく。立ち上がれる。そう、耳を。
「君たち、揃って母親似なんだね?」
貸してはいけなかった。
大仰な節回しで、息子に、そしてこちらに向けて明確に掛けられた言葉に、ぐわんと揺らされたような感情が湧き、その怒りが半ば反射のように体を動かす。床に刺した矢を掴み上げて、弓に番えたところで、はっきりと頭に血が上っているのを自覚した。ろくすっぽ狙いが定まらないまま、感情に任せた矢が3本。
「うあああああああああああ」
生命力まで注ぎ込んで、ああ馬鹿なことをしている!とんでもなく安い挑発だ。わかっている、それでも指を矢羽から離す、続けざまに。
「はははは!!!ねえ、どこ狙ってるの?」
当たり前に、そのどれもが相手に掠りもしない。息がどっと切れ、頭が白くなる。一瞬ぶれる視界の中、目の前に躍り出たひかりが、風を纏って斬りかかるのが見えた。けれどそれも呆気なく躱される。一歩後退した異形の腹を、後ろから飛び上がった文太の拳が捉えた。鬼神の速さで繰り出される拳と、再び聞こえる、どん、めしゃ、という音。そのまま、自分の目の前へ立つ文太の背中を見遣りながら、なんとかして息を吸った。指が、腕が、手先が痺れている。攻勢へと向かわねばならないのに、自分が挑発に乗せられ攻撃を見誤ったという事実と、立て直さなくてはという思考が、一瞬、体を、止めて。
「っ、楽紗!!!!!!!!!」
次に視界に広がったのは、鮮血だった。目の前。異形の爪が目の前にある。今までの大ぶりなそれとは全く違う。目で追うことがようやく出来るほどの速さ、鋭い爪が、まるで返すように振りかざされ、あまりにも単純に、相手を殺すためだけのその攻撃を受けたのは。
「っ、ブン!!!!!!」
「文太!!!!!」
悲鳴のように、口から名前が迸る。考えなくてもわかる。庇ったのだ。文太が。あのまま攻撃を続けるために、拳法家の間合いを維持することだって出来たはずなのに。わざわざ下がって、動けない私の前に立ったのだ。頭をがつんと殴られた感覚。耳元で赤毛の笑い声が響く。
「死んだかな?あっはははははは、あっけなかったな。まあ君が殺したようなものだね、当主さま!!!」
喜ぶような声。血溜まりが足元に。私は、何を。何を。何を。
何をやっている。
瞬間、胸に湧いたのは悔しさだ。冷水を頭に打ち込まれたような感覚、自分を責めることはあまりにも簡単で、けれどそれが、最も相手を喜ばせる思考と行動だということを、頭の奥に響く声が告げてくる。早鐘を打つ心臓と荒くなる呼吸を無視して文太を見る。口元がほんのわずか動いたのを確認して六兵衛を見、回復をと指示を出した。どくどくと流れる血は、一度も膝を付かなかった彼の足を折り、腕を飛ばして地面に広がっていく。心得ていたと言わんばかりに、すぐ壱与姫の術が文太の体を包み、金色と青が混ざった光が、一瞬、文太の姿そのものと重なった。
「らく……」
「ひかり、私が攻撃を終えたら石猿。六兵衛、回復を優先」
こちらを見る六兵衛の言葉を遮って、二人に指示を出す。もう一度弓を構える。相手は、笑っている。もはや、狙う場所で迷っている場合ではない。口の中でたった一度、すまない、と呟き、光の粒子が文太の体から離れるのに合わせて、矢筒から三本矢を引き抜く。そのまま二本口に咥えて、あと一本を番えた。文太の体から光が消えていくのを見ながら、腕に渾身の力を込めた。ごく短い、ぎりぎりと弓弦をしぼる音は、おそらく私だけに聞こえている。指を離す。矢羽の軌道が相手の胸元に生える祖の顔を真っ直ぐに捉えた。光が消えきる前に、もう2本。同じように指を離した。
「……っ、はは、君の弓、当たるんだ?」
嘲りと煽りの言葉に重なるように、祖の頭蓋が砕ける音が、3度響き渡った。合わせるように、ひかりの唱えた石猿の呪文が、全員の体を包む。茶味がかった帯状の光が、砕けた鎧を覆うように胸元に集まってきた。そしてそれが解けきらないうちに、目の前の文太が体を撥条のように跳ねさせ、一気に体を起こしそのまま地面を蹴り上げ相手の懐へ飛び込むのが、はっきりと見えた。行け!と、背後から六兵衛の声。そのまま、腹に二度めり込んだ拳は、今までよりも一層大きく、ひしゃげるような音を響かせた。後方によろめく異形の身体。支えるための足がもたつき、はっきりと相手の身体が傾いだのが見えた。構えを解かない文太の背中で、とどまっていた青い光が霧散する。
「……はは、死んでなかったか!ざぁんねん。まあ、今死ぬのもあとで死ぬのも同じだよ、どうせ君たちもボクも、姉さんに踊らされてるだけなんだからサ!!!」
煽り文句が終わり切る直前に、ざわりと肌を撫でる嫌な感覚。先程と違う、そして同じような死の気配が場に垂れ込める。何が来る、と身構えて、しかし首を振る。それが何の術であってもどうでもいい。もろに貰えば命がないことに変わりはないのだ。
「来るぞ!!!!!」
ひとつ叫んで、術の範囲を見極めるために意識を集中させる。異形の爪が振り下ろされた直後、頭上から、目の前から、後方から、巨石ががらがらと音を立てながら無数に降り注いだ。その出鱈目な軌道を、身を捩りながら避けていく。小さな土埃に鼻の穴を塞がれそうになり、肘で口元を覆ったそのとき、左前方、鋭く尖った岩石が、ひかりの肩口を貫くのが見えた。
「ひかり!!!!」
六兵衛の声。岩石の猛攻はまだ終わっていない。避けながら術を編む横顔へ、待てと声を遣る。はっきりとした、三人分の血の匂い。見れば六兵衛の腹、文太の足にも、大きな傷が走っていた。
「六兵衛!全員に!!文太、回復を重ねてくれ!」
声は、岩石が重なる音を抜けるように届いただろうか。六兵衛が小さく頷き、光の粒子は全員を包む。一拍遅れて、それが一層強く輝いた。届いていたことに安堵し、短く息を吐く。
そのまま腹に力を込めて弓を構えた瞬間、再び、唸るような水音が鼓膜を揺らした。
押し寄せる水が、散らばった岩を押し流しながらこちらへ向かってくる。まずい、と思った次の瞬間には、目の前に岩があった。
「っ、ぐ……!!!!」
水に足を取られて回避がうまく出来ない。母さん、という悲鳴が水に飲まれたのが聞こえた。全身に走る衝撃、状況はこんなにも明白だけれど、だからといって動けるわけではなかった。ただ、二度目の水圧に倒れそうになる身体に、足掻くようになんとかして力を込めた。馬鹿みたいに痛く、足が千切れそうになる。しかし、次の衝撃に備えるより先に、先程よりもうんと短い時間で、水が引く音が耳に届く。赤毛の声も、聞こえない。
薄く目を開けば、押し流された巨石が壁や床をえぐり取って、あたりにばらばらと散らばっていた。岩影で、文太がゆっくりと身体を起こしている。視線を巡らせる前に、ひかりが呻く声が背後から聞こえた。どきり、と心臓が跳ねる。
「楽紗、ひかりは無事だ!だから指示を!!!」
嫌な予感を遮ったのは、六兵衛の、伸びやかないつもの声だった。ぴんと張ったその声は、今の猛攻を彼がやり過ごした証左でもあり、その言葉に偽りがないことを告げてくる。頷いて腰元の携帯袋に手を突っ込みながら、前を向いたまま、叫ぶ。
「ひかり、太照天!!!六兵衛、アレを頼む!!!!!」
叫び終わるより先に、四色の光が降ってきた。合わせるように、大甘露の壺を床に叩きつける。銀色の雫が跳ね、ひどく場違いな甘い香りが、場を満たした。
「出番だな!!!!」
その匂いを纏うように、六兵衛の声が響いた。扇が巻き起こしたであろう風が一閃、異形の腹を明確に抉りとる。今までと違う、生肉が分厚い皮ごと裂けるような音が数度、風の音に乗って耳へ抜けていった。呻くような苦痛の声、ちかちかと舞う血しぶきが花弁のように散っていき、地面に、ぱたぱたと音を立てて落ちていく。風がおさまったあと、攻撃を続けようとしたときだった。
「母さん」
赤毛の声。
異形の足が、爪が、わなわなと震えている。
「なぜボクを生んだんだ……?」
頭を抱えるように、腕が動く。
それは今までと全く違う声音だった。こちらを油断させるためのはったりだろうか。弓を構えたまま、警戒を解かずに相手の動きを見る。振り上げられた爪は誰もいない場所へ出鱈目に振り下ろされた。
「ああああああああああああああああああああああああああ」
女の声が混ざったような、麻袋を引き裂くのに似た叫びに、散らばった岩石がぶるぶると震えた。ごとり、みしり、がらん、と、岩石同士が重なる耳障りな音がする。狙いが定まっていないのか、その多くはあまりにも緩やかに地面に落ちていった。けれど、そのうちのたった一つが、鋭い軌跡で後方へと飛んでいく。
「っ、ぐ……!!!」
「にいさん!!!!!!!!」
ひかりの悲鳴。何があったかは見ずとも分かった。けれどここでやるべきことは。矢を、矢筒からもう二本引き抜き、先程と同じ様に構えた。矢を咥えたあと、回復の術を組むときの指の形を作り、後方に見えるように翳す。ひかり、頼んだ。その意図は過たず伝わったようで、淡い光が背後から射すのを感じる。腹と腕、足にも力を込め、そして。
先程、六兵衛が裂いた腹傷めがけて三本、矢を放つ。
再び血しぶき。ぼたぼたと体液が漏れている。その色をうまく視認することが出来ない。もはや、双方に余裕はない。上等だ。
「守りを固めろ!ブン、六兵衛、いけるな!」
手は震え、腕は上がらない。奥義の反動は、わかりやすく身体を痛めつけてくる。何度目かの地面を踏みしめる音と石猿の光が、場に強く、響き渡った。
「かあああぁあああああああああああ、さああああああああああっぁぁぁあん」
もはや言葉になっていないそれ。地団駄を踏むような足の動き。なんとかして呼吸をしながらその様子を見る。文太が地面を蹴り出そうと、足を一歩下げるのが見えた。腕を一瞬振って、矢を番える。攻撃へつながる動きが、しかし。
ばくり、という奇妙な音に遮られる。
「な………」
思わず声が漏れるほどに、それは、おかしな光景だった。
裂けた腹から、目玉のような器官がせり出している。赤黒い肉が虚のように口を開け、そこからざわざわと音を立てて、強く、強く視界を焼くような光が飛び出してきた。本来質量を持たないはずの光が、重さを伴って身体にまとわりつき、避けようとしてもどうにもならない。ただわかるのは、それに皮膚が食い破られていくということ。それ自体は物理的なものであるのに、まるで術を食らったときのように、破られるたびに突き抜けるような痛みが襲ってくる。手を振っても振り払えない。声が、上がる。
「ぐあああああああああああッ」
けれど自分の声よりも一際大きな叫び声が、後方から上がった。その声の主が誰かは、分かる。けれど、けれど六兵衛のこんな声は、今まで聞いたことがなかった。思わず振り返れば、六兵衛の皮膚のあちこちから血が噴き出していた。目の前の景色が奇妙に乱反射している。そして冗談のような攻撃は、再びばくり、という音とともに、突然止んだ。
なんだったんだ、と考えている間はない。あれをもう一度食らうのは御免被りたかった。
「にいさんの回復を……」
ひかりの声に首を振り、全員に!と指示を出す。次いで、文太の背中へ叫んだ。
「ありったけ、力を込めてぶん殴れ!!!!!」
こくり、とちいさな首肯が見えた。文太が地面を蹴り上げるのに合わせて、口の中で回復術を編む。そうして、術を唱え終わるより先に。文太の攻撃が、渾身の拳が、はっきりと、異形の腹を貫いた。
「ごぱ」
不明瞭な音だった。それが赤毛の口から吐き出されたものだ、というのに気づいたのは、回復術の光が霧散した後で。
刀を構える音とともに、前へと駆け出していく剣士の背中。ひかり、と声を掛けようとし、それを飲み込む。

そこへ、ごう、と火の粉が舞った。

その炎に、今までのような苛烈さはなかった。ただ場を舐めるような火が、前衛に立つ二人に纏わりつく。それに命を削るほどの力はないのは経験則で分かっていた。ひかりは、赤い膜のような炎から、駆けた勢いを殺さないまま飛び出していく。懐へと刀を振りおろしたその背後から、煤を巻き上げながら飛び上がっていく影がひとつ。

「そろそろ、俺もこれを言っていいだろう」

はっきりと耳に届いたのは。

もう何度目かの、なにかがひしゃげ、潰れるような音と。


「どーよ!!!!!」


倒れ込む異形に向かって放たれた、
いつか聞いたのにそっくりな、言葉だった。