大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

そこにはいけないけれど 後

悪い夢を、頻繁に見るようになった。
戦いに出ている夢。為す術もなく鬼に殺される夢。目の前で家族が倒れる夢。
悲願達成を急いた。死にたくなかった。自分も家族も、もうこれ以上死んでほしくなかった。だからと奥へ奥へ、足を進める。けれど結果はどうだ。扇は手から離れ、鬼がにたりと笑って、そして。
ごうごうと燃える炎、血なまぐさい塔の中で、顔に家族の血飛沫がばしゃりと飛んできて、目が覚める。見慣れた天井がきちんと認識できるまでに、ひどく時間がかかる。はね飛んだ血飛沫の感覚が、いつまでも残り続けて、寝間着が張り付くほどに汗をかいていた。噛み締めていた奥歯が痛い。ここは家だ。けれど、ここはどこだ。お守り代わりにと、父が残した刀を寝所に持ち込んだ。鞘を、握りしめる。ここは家だ。けれど、ここは。


思考に芯が通らないまま、気がつけばまた、眠りに絡め取られていく。
眠りと死が近しい場所にあることを、嫌でも実感する。寝起き特有の、ぼんやりと浮かぶような感覚のなか、ああこのまま、と思うことが増えていった。

「討伐隊のご帰還です!!全員、ご無事です!」
イツ花の明るい声が屋敷に響いたのは、そんなときだった。

***

その日、並んだ食事は実に豪勢なものだった。
蜜でたっぷりと照りをつけて焼いた肉。白くからりと揚がったごぼうと長芋。卵と出汁がたっぷりと使われたたまごふわふわ。新鮮な生の葉物野菜の盛り合わせには、胡麻と味噌のたれがかかっている。小鉢にはおひたし、白和え、そしてきんぴら。皆の前には、大盛りの白米とすり流し汁。わあ、という歓声が、食卓を包んだ。手間も時間もかかったであろう献立を前に、ひかりが「すこし手伝った」と口を開く。すごいな、と目をまるくする六兵衛と、はやく食おうと急かす文太。その横で、楽紗が誇らしげに笑っていた。いただきますと手を合わせた直後から、我先にと大皿に箸が伸びていく。なかでも、食卓の中央に鎮座していたお肉は、皿の上からあっという間に姿を消した。
私の前には、小さなお椀がふたつ。ごく少量の白米と、取皿にと用意されたものだ。折角作って貰ったものを、すこしずつでも食べたいと思い、箸を伸ばす。
たくさんの防具、そして塔の天辺にあった景色。有形無形の戦果を聞きながら、ひとくち、ふたくちと口に運ぶ。けれど、それでもやはり襲ってくる吐き気はどうにもならなかった。視界がぐるぐると回る。聞こえてくる音が安定しない。
「……小町、ちょっと、聞いてる?」
むぎ姉さまの声。頷くのが精一杯だ。家族の心配そうな視線が、こちらへ向けられている。
「ん、ええと、みんな、ごはん、たべててね」
その視線が、楽しい食事の時間を邪魔してしまうようで、申し訳なく、そして居心地が悪い。その、居心地の悪さを感じてしまったこと自体への罪悪感。なんとかして声をしぼりだしたのは、その気持ちから逃れるためだった。
この眠気に身を任せるなら、せめて自室でと、ちゃぶ台に手をついて、立ち上がろうとしてみる。けれど肘がおれ、うまく力が入らない。
「小町を部屋に連れて行くから、私の分を残しておくように」
体がくずれるより先に、姉さまの手が背中に伸びてきた。もう、一人で歩くことがままならないのかという事実が、ずどんと胸を押しつぶしてくる。姉さまの顔が、見れなかった。

****

同じような夢を見た。繰り返し、繰り返し、同じ夢を見た。
けれどそのたびに、柔らかいごはんの香りと、手を引いてくれる影が、現実に戻る標になってくれる。探るように手を伸ばす。硬い刀の鞘の感覚。そして、手の甲に柔らかく、温かい手が重なったのを感じた。
目を覚ます。
「あんたはもう少し寝てなさい。ここにいるから。ちゃんと喋れるようになったら、みんなで話そう」
優しい声。
頷いて、目を閉じた。
そしてまた何度も何度も、同じ夢を見た。
そのたびに、声がかかる。
ごめん、ごはん、たべられなくて、つくってくれたのに。ごはん、ごめんなさい、食べたいの、たべたかったの。みんなに、しんでほしくないの。もっと、ちゃんと、はなしたかったの。ねえさまと、はなしたかった。夢と夢の間で、なんとか言葉を作る。言葉になっているかは、わからない。
いいよ、ちゃんと、わかってる。
そんな返答は、わたしの願望かもしれなかった。
けれど、目に入る外からの光が、白から橙へ、そしてぼんやりとした灯だけに変わり、もういちど明るく白いものになっても、姉さまは変わらず、そこにいた。

***

何度目かの悪夢のあと、目を開けた。瞬きをする。天井の梁が、はっきりと一本に見える。景色は白く、日は高いのだろう。奥歯の痛みはない。息を吸って、ゆっくりと吐ききった。手を持ち上げて、開いて、握る。力は、まだ入るようだった。
「母さん!!!!!」
ひときわ大きな六兵衛の声が鼓膜を震わせる。きん、とした頭の痛みを感じるが、それよりもまだ、六兵衛が家にいるという安堵のほうが大きく、声がした方へ首を少しだけ傾けて、可能な限り視界を巡らせた。
六兵衛の後ろには文太が、楽紗が、ひかりがいた。
「姉さま…?」
自分の声が、まるで小さな子どものように甘えた響きを伴って、耳の奥に返ってきた。馬鹿ね、いるわよ、という声が、枕で塞がってない耳にとまる。
「よかった」
首を反対側へ動かせば、きちんとそこに姉さまの姿があった。よかった、ちゃんと話す機会は、まだある。ちゃんと話せる。よかった。間に合った。何度も口の中で繰り返した。もう一度、天井を見る。何か感じたのか、こちらを覗き込む六兵衛の顔が、くしゃりと歪んだのが見えた。
「みんな、あのね……ちゃんと、話さないと、と思って」
ずっと掠れていた声。けれど思った以上に、しっかりと発することができた。
体を起こす。慌てて六兵衛が背を支えようとしてくれたけれど、それを制して、なんとかして背筋を伸ばした。傍らに置いていた刀の柄を握り込んで持ち上げ、そのまま、ひかりの前へと差し出す。
「まずは、これをね……ひかりに使って欲しい」
「俺に……」
ごく小さな返答にひとつ頷いて、腹に力を込めた。
これはきっと、当主としての、最後の、最後の矜持だ。
「三解丸。これを使って、皆に呪いを解いて欲しいの」
銀灰の柄頭、深い橙の柄糸。目が覚めるような、紅の鞘。金色に走る帯状の粉。短く垂れた、黒の房飾り。継がれてきた刀が、ひかりの手に渡る。頭を下げ、両手で受け取るその表情は固い。引き結ばれた口元が伏せた顔の奥で少しだけ震えているのが、かすかに見えた。
「月が変わって、皆が討伐に出て。そうなったら、わたしは、もうどのくらい生きていられるかわからない。先月の討伐で、塔の頂上は見えたのなら、本当にもう、あと少しだと思う。なら、ひかりがこの刀をしっかりと振るえるようになってから、そこへ向かってほしい」
「当主様、それは…!」
楽紗がもの言いたげに口を開くのを、視線を合わせて制した。そのまま、言葉を続ける。
「楽紗、あなたがねえさまの血を繋ぎたいと言ってくれたこと、わたしはとても嬉しかった。それにね、可能ならやっぱり、やっぱりわたしも生きていたいとは思う。けどね、わたしはきっと……どうやっても間に合わない」
言いながら、その言葉の意味がはっきりと胸を塞ぐ。ああ、死ぬのだ、と思った。死にたくない、と思った。けれどやはり、間に合うことがないというのも、変えられない事実だった。
「ひかりが戦場にでられるまで、あと一月。そのあと、鬼と渡り合えるまでは、無理な進軍は控えると、約束してほしいの」
「し、しかしそれでは」
楽紗の眼が、わたしと、そしてむぎ姉さまを交互に行き来する。背中側に座っている、姉さまの表情は見えない。息を吐いて、ぐっと拳を握った。そのまま、喋る。
「……姉さま」
「ん」
「わたし、とてもひどいことを言っている」
「そうね」
短く、優しい声が、した。
「でも、それは必要なことだ」
いつもどおりの、明るい声。
「あんたがそれを選ぶなら、それに従う……その決断は、《一族》の未来のために、正しいことだよ。ね、漢様」
呼ばれ慣れない名前とともに、背中に手が添えられる。
「皆、いま漢様が言ったとおりだ。皆で約束しよう。悲願達成は、ひかりがしっかりと成長したあと、機を見極めて行うこと。決して焦ったりしないこと。そのために、今回の討伐では武器防具を探して、薬、笛をしっかり集めることに専念しよう。……まあ、一ヶ月でも早く、朱点を屠れるならそれに越したことはないけどね」
むぎ姉さまの声を聞く。ああ、鼻の奥が痛い。自分で言ったことだと言うのに、このままわんわんと泣いてしまいたかった。自分が死ぬことと、姉に生きる未来を諦めろと明確に告げてしまったこと。それが、今まで感じてきたどんな死の恐怖よりも強く、覆いかぶさるように、胸を押しつぶしてくる。
「ほら!討伐の準備」
むぎ姉さまが区切るようにそう告げても、皆がなにか言いたげに、じっとこちらを見つめていた。一人、文太だけがすっと立ち上がり、結局何も言うことなく、そのまま部屋を出ていく。そしてそれを追うように、六兵衛も、ひかりも、そして楽紗も、部屋を出ていった。
「むぎ姉さま」
最後に立ち上がろうとした姉の名前を呼ぶ。
「ん?」
覗き込んでくれるその表情は、やっぱりどこまでも優しい。
「ごめんなさい」
「何が」
「ごめんなさい、わたし、わたし」
言葉にならなかった。結局、涙が出てくるのを止められなかった。
ほんとうは姉さまに生きていてほしい、できれば今月にでも、朱点の首を取って、みんなでごはんが食べたい。姉さまが作ってくれたご飯が食べたい。そんな気持ちが、あとからあとからこみ上げて、けれど喉からもれるのはしゃくりあげる声ばかりだ。
「小町」
呼ばれ慣れた名前だ。父上に、姉さまたちみんなに呼ばれ慣れた名前だ。
「あんたが選んだ道は、正しいよ。だから、大丈夫。それに」
背中をさすってもらいながら、大丈夫なんかじゃない、となんとか絞り出す。けれど、それに頷く姉さまが、言葉を継いだ。
「私はね、小町。ねえさまが逝って、あんたが体調を崩して」
不自然な間。そしてぽたり、と布団の縁に、水滴が落ちた。姉さまの眼から、ぼたぼたと溢れる水滴が、落ちては布団に吸い込まれていく。
「ねえさまと、あんたと、私。三人で過ごした時間のことを、よく思い出すようになった。ああ、思い返せば一瞬だったな、ああでも、もしこのまま生きても……あんなふうに楽しく過ごせることは、もうないんだろうな、って」
「むぎ姉さま」
「だから、小町。私は、後悔はないんだ。死ぬことは確かに、嫌だし……それを、喜んで受け入れようと思ってるわけじゃない。あんたが、それを皆に言うのは、辛い決断だっただろう、って思うよ。あんたは優しいから。でも、私はあんたとね、こうやって話せたから。だから、よかったんだ。ちゃんと、言えて、よかった」
「んん」
溢れた涙が、姉さまの顔に筋を作っている。けれど、その筋に新しく涙が伝うことはなかった。
「どうなるかは、わからない。けど、子どもらには、生きてて欲しい。あんたが最期の務めを果たしたあと、私はそのために、できることを、きっとやり通すから。ちゃんと、見ててよね」
強く、姉さまの体を抱きしめる。
震えて、しゃくりあげて、どうにもならなかったけれど。それでも、姉さまの肩口で、何度も、何度も、頷いた。

*****

討伐隊が出立する日、体を起こすことは出来なかった。
枕元に、戦装束に身を包んだ家族が集まってくれた。漢方薬の効きは悪く、頭がはっきりとしない。楽紗が、必ず生きていてくれと無茶を言う。六兵衛はずっと顔を曇らせている。姉さまが、優しく笑っている。
「いってらっしゃい」
眼を薄く開いて。
そう、声を出すのが、精一杯だった。
ひかりが、家族を見送る声を聞いた。ああ、これで大丈夫、となんの根拠もなく、思った。

*****

粥を口に運ぶ。眠る。指輪を嵌めている指をなぞりながら、考える。
そんなことを、繰り返し、繰り返し、繰り返していた。
託すまでは、最期の務めを果たすまでは、死ねない。しがみつくように粥を口に運ぶ。
ひかりが、粥の味を見てくれている、とイツ花が教えてくれた。卵、鮭、梅干し、菜っ葉の漬物。淡い塩気が、じわりと舌に広がる。目に鮮やかな椀の中身を見ながら、それでも、その味が、日増しにわからなくなっていくことが、たまらなく苦しかった。
粥を口に運ぶ。眠る。指輪をなぞる。夢は、もう、見なかった。
起き上がっている時間が明らかに短くなる。ひかりが訓練をしている声を聞く。粥を口に運ぶ。眠る。いつ、その時が来てもいいように、布団の中で指輪を外す。不思議と風が涼しくなっていくことだけが、はっきりとわかった。
眠る。起きる。粥はすでにほぼ液体のようで、それでも体を案じて作ってくれたものなのだからと、なんとか口にした。けれど、それも叶わなくなっていく。
何度繰り返したか、わからない。
楽紗の顔が浮かんだ。未来へと望む、強い眼差しが浮かんだ。
文太の表情が浮かんだ。六兵衛が泣いている気がする。ひかりの口元は、やはり震えている。
それでも、むぎ姉さまは笑っていた。
そんな光景を、何度も、何度も、繰り返し、頭の中で浮かべて、滑り落ちていく縁で、必死に耐える。
思い返せば一瞬だった、という、姉さまの声がした。幻聴。そして、くん、と引っ張られるように、意識が現を捉えた。
目を動かせば、そばには心配そうにこちらを見るひかりの顔があった。
「当主様、お加減は……」
意識があることへの安堵だろう。心配と綯い交ぜになった表情が、そこにあった。大丈夫、と言ったあとに、耳の奥に残る声をなぞる。
「あのね、ひかり……楽しいときって、一瞬なんだ。一瞬で、終わっちゃうんだ…だからね、見逃しちゃ、だめだからね」
頷くひかりの顔を見ながら、最期の務めを果たすまで死んでたまるか、と、強く思った。

*****

寝て、起きる。眼球を動かして、天井を見る。
もう、それ以外のことは自分一人では何も出来なかった。
意識はまどろみの中にある。自分の思考に、芯が通らない。
ああ、死んだのだ、と思った。いくらしがみついても、勝てなかったのだ、と思った。
声が聞こえた。
かろうじて、それがイツ花の声だとわかった。
風が、涼しい秋の風が、たくさんの音を連れてきた。
目の前で口が動いている。漢様、という呼びかけ。それは、討伐隊が出撃する前、姉さまが呼びかけてくれた名前。
最期の務め、という言葉が、頭に浮かぶ。
枕元に置いた指輪を、なんとか見る。
それに、誰かの手が伸びた。強い金色が、視界を掠めていく。
ああ、指輪が、ちゃんと子孫に渡ったのだ。それが夢ではないと、思いたかった。
イツ花の声が聞こえる。
皆の声が聞こえる。

なにか、言いたかった。
何も、言えなかった。

ただ、おやすみ、というむぎ姉さまの言葉だけが、はっきりと耳に届いた。