大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

男の記憶①

息を吐き出しながら、月録帳を閉じた。風が抜け、頬を撫でていく。障子が、かたかたと音を立てて揺れた。

ずいぶんゆっくり呼吸をしているはずなのに、それでも胸に走る痛みに、思わず顔が歪む。痛む箇所を掻き毟りながら、じわりと滲んだ油汗を、手のひらで押さえた。

八月以降、書くことのなかった月録。あのあと、ずいぶん家族と話すことが増えたことを、痛みの中で思い返す。

二人が、僕のことを信じてついてきてくれたこと。二人が、何を思いどう感じていたか。二人がどうしたいか。討伐記録や月録ではなく、それが自分にとっての判断材料に変わっていったのは、この時が境だったか。きっと、たくさんの当主たちが当たり前にやってきたことに、死にかけてようやく気づいたというのは、情けない話だ。

目を閉じた。討伐に送り出した家族の顔を、はっきりと思い出す。必ず強くなって帰ってきます、と宣言していたのは、妹の子。家族を守れるようになります、と言っていたのは娘。全員で帰ってくるから、と声を揃えた弟妹。また、障子に風が当たり、音が鳴った。外を見れば、小町がイツ花の前で舞を披露している。イツ花の笑い声と小町の歌が、風に乗って耳に届いた。およそ戦場には似つかわしくない、踊り屋という職業。鬼とどういう風に戦うのかを、結局想像することしか出来ない歯痒さが、胸に落ちる。

娘を迎え、家族たちの子を迎え、全員が揃えば、自分がいなくなるのはまぁ、道理というものだ。今際の際の父がそうであったように、いつものように、いなくなる。そう思えば、自分が病を患うのも納得がいく。しかしやはり、今頃になって命を惜しむ気持ちがあるのも事実で、それもまた、情けなく思う。

ふと、風が凪いだようだった。聞こえていた歌も、障子の音も、木々のざわめきも、何も耳に届かない。背中にびたりと張り付いた死神の気配を、急に色濃く感じて、胸を押さえた。

息の吸い方がわからないような痛みに、膝の力が抜ける。そのまま体が崩れ落ちたとき、反射で机についた手が、なにかを触った。床に頬をぶつけたとき、ばさりと音を立てて、触れた月録が落ちてきた。全く、最期までどうしようもない。すこしだけ、笑った。

 

***

 

咳き込むたび、体が軋む。

それでも、生に縋り付くように、食事を摂った。喉につかえ、飲み込めなくなっても、たとえ粥でも。どんなときでも、胃に物を入れ続けた。

イツ花は、踊り屋がわからない僕よりもずっと、小町のことをよく見てやっているようだった。当主としての仕事を、結果任せなくてはいけない情けなさが、頭を支配している。

けれどふと、情けない気持ちごと書き記しておくのもいいかもしれない、そんな思いが湧いた。

小さな書き物机の上は、イツ花が枕元に置いてくれたものだ。ゆっくりと、手を伸ばす。

硯で墨をすろうとして、しかし、手は震えて力が入らない。何度握っても、墨は落ちていく。筆を握りこむこともできない。七月のあのときよりもずっと、死神の存在を近く感じる。

息が漏れた。胸が痛んだ。

ただ、それだけだった。

 

***

 

食事を摂ったあとの怠さが、日に日に増していく。食事を摂ることが辛くなる日が来たのか、と思ったとき、最期のそのとき、お腹が空いたと粥を食べた姉上殿の強さを実感した。

同じ髪の色だからだろうか、何となく姉上殿の面影を残す小町は、本当に、よく喋った。

自分が踊り屋になれて嬉しいこと。女の子三人は初めてだとイツ花に言われて嬉しかったこと。僕のことを心配していること。ご飯はそれでもおいしいこと。よく笑い、わかりやすくしょげ、よく眠った。寝顔は、もみじによく似ていた。

そうして、日増しに弱る体と裏腹に、生への執着が強くなっていく。

もっと。

娘たちと話をして。

もっと。

家族と話しをして。

もっと。

イツ花と話をして。

できることなら見届けたいと思っていた全てが、指先から溢れていくようだった。

 

起き上がれなくなるまで、結局、月の半分も掛からなかった。