賭した先で
自分の体は、最早自分のものではないのかもしれない。
武器を抱え込んだ鬼は、九重楼の最下層にいた。一見しただけで分かる、炎の力を宿した薙刀。ひたちがそれを見て、あっと小さく声を上げた。旭と陽織が、こちらに視線を向けた。一つ頷いて、鬼の背後に回る。
目当てのものが、手に届くところにあるのだ。
それを手に入れてやる、その一心で鬼に向かって踏み込こんだ。しかし、背後から斬り込んだはずの刀は勢いよく空を切り、けたけたと笑う醜悪な声が、天井や壁に反響して降ってくる。しかし腹の奥に湧いたのは、怒りではなかった。
体が、体が。
思った以上に動かない。
手が震える。足が震える。刀が重い。
愕然とした。
「兄上!」
悲鳴のようなその声で、遠のきそうな意識をなんとか手繰り寄せた。よろけそうになる足に力を入れ、振り絞って後方へ引く。情けない。しかしそれが、自分にできる精一杯だった。
弟二人が、オレと入れ替わるように鬼へ向かった。陽織が懐に飛び込み、拳を叩き込む。よろめいた大将を、隠れていた雑魚ごと、旭の槍が刺し貫いた。耳障りな悲鳴とともに鬼が絶命し、抱え込んでいた武器が、がらんと音を立てて地面に落ちる。ひたちが、それに駆け寄った。
「あたしの武器だ!」
拾った薙刀を大切そうに抱え、持っている何度も見比べている。しっくりと手に馴染むのか、見上げてくる表情はとても、明るい。
「良かったじゃァねえか、ひたち」
旭に頭をくしゃくしゃと撫でて貰って、満面の笑みでいるその姿を、霞んだ視界で捉えながら。
長く、長く、息を吐いた。
***
ただ、無心で剣を振るい続けた。
術の巻物が見え、槍が見え、そのどれもを手に入れることが叶わず、それでも、弟たちと娘に支えられて階段を上がる。足手まといなのは百も承知だ。しかし、それでも帰還を進言したくはなかった。一匹でも鬼を、一歩でも先へ。
底が抜けた桶のように、休んでも休んでも、体の力が抜けていく。歩き、止まり、歩き、止まる。何度も繰り返し、そうして討伐の刻限が迫ったとき、目の前に、最早見慣れた鬼の群が立ち塞がった。
「こいつらを倒さないことには、帰れない、か」
そう、口の中でだけ呟いた。オレが刀を構える横で、既に娘は鬼に向かって踏み出している。ご当主はひとつ頷いて、それを受け入れた。
薙刀一閃、焦げた臭いが辺りに満ちた。しかし鬼は倒れず、ぶちぶちと音を立てながら数を増やしていく。
「気持ちわりィなァ、増えんのかぃ」
憎々しげに呟く旭。向かった先、強く刺し貫かれた槍で、鬼が倒れるのが見えた。しかし、やった、と思った次の瞬間には、分裂し援軍を呼ばれて元の木阿弥だ。一匹を屠るのは難しくないのに、屠った先から、倒しきれない鬼がやってくる。
大将だけ狙おう、と陽織が口にしたとき、増えた鬼たちが、目の前にずらりと並んで。
「父さま!!!!!!」
一斉に、オレへ向かってきた。
「かはっ、が…っ」
ひたちの悲鳴。攻撃を躱すこともいなすこともできず、まともに食らい続け、口から妙な音が漏れる。こちらが何もできないまま、巨大な岩が向かってきた。もはや立っていることは不可能で、強烈な痛みだけが、脳が判断できる全てになる。
「兄上、しっかり!!」
泣きそうな声が、痛みの隙間を縫って耳に届く。陽織、いや、ご当主。オレのことはいい。そう言おうとしたとき、ふっと体が楽になった。ああ、攻撃よりも回復を優先してくれたのか。その声が、鳥居のそばで泣いていた、姉上と重なる。このふたりは、ほんとうに。
「当主様ァ、どうすんだ」
「…後列を狙えるあなたは、大将を狙ってください。兄上は、回復を。ひたち、君は、前列の鬼を薙いで。…誰も、死なせない。誰も」
呟きながら、お地母の術をご当主が唱えた。全員が頷き、ひたちがもう一度駆け、旭が続いた。大将に向かって、ご当主が飛び込む。そうして、何度めかの応酬のあと。
舞い上がる火の粉とともに、敵はすべて、いなくなった。
それが、九重楼で見た、最後の光景。
「兄上殿っ」
「あずま兄上!」
「父さま!!しっかりして!!!!」
三人の、そんな声を聴きながら、こんどこそオレは、意識を手放したのだった。