望みは絶えたか
とうとう鏡を、割っちまいやがった。
また会おうゼ、兄弟。
あたりには、なにもなくなった。
雪も、髑髏の山も、鬼も、なにも、なくなった。
「うそだろ」
誰よりも早く声を発したのは、あずまだった。
「うそだろ、なぁ」
音を吸うものはなにもない。反響する声が、幾重にも重なって無情に落ちてくる。
視界の端で、何かが傾いだ。直後、硬質な何かが床を叩き、転がっていく音。それが何か、すぐに把握することが出来ない。悲鳴が重なり、何度も何度も、同じ名前を呼んでいる。
「姉様!!甘明姉様!!!」
ちいねが叫んでいる。ちいねの声だ。それは分かる。それなのに、視界が、何重にもぶれて、今自分がどこにいるのか、分からなくなって。
「大丈夫よ」
その声は、ぽつりと、静かに響いた。急速に、ぶれた視界が戻っていく。何も無い。周りには、何も。何も。何も。
「大丈夫、なわけ、あるか」
額に触れる。呪珠は変わらずそこにあり、腹立たしくなるほど、いつもと変わらない。つまり、今の音は。
倒れたのだ。
甘明姉様が。
呪いは、解けなかった。ワタシ達は騙されていたのだ。何になのかはもう分からない。それでも目の前にあるのは、咳き込む姉様と、支えるちいねと、呆然としているあずまの姿だ。
ワタシが。
父上の言っていた、兄上が信じた、そして姉上と共に見た、その違和感の正体に気づいていれば。
「すまない」
ワタシさえ、もっと。もっと考えていれば。
あの赤毛のことをもっと疑っていれば。
姉上を救えたのかもしれない。
皆にこんな思いをさせずに済んだかもしれない。
「すまない」
何度も、ひとりでに口が動いた。何もなくなったそこに、倒れ伏した醜悪な鬼の姿が見えた気がした。
「すまない、ワタシが、ワタシの、考えが、ぁあぁあぁああ」
違和感は何だったのか。父上は察していたのか。朱点は神を封じた。鬼に変えた。それを自分の屋敷の前に置くだろうか。あの碑は。街並みは。転がっていた武器は。もっと、考えられることは。たくさんあったはずじゃないか。どうして。ワタシは。
「強くなど、なかった」
漏れた声に、ちいねの泣き声と、あずまの呻き声が重なった。膝をつく。
負けたのだ。
そのあとは誰も動けぬまま、誰も、何も言えぬまま。
蹲ったまま、ワタシたちはただ、泣き続けた。
「手を、つなごうか」
最初に立ち上がったのは、甘明姉様だった。姉様はそう言いながら、あずまの手を取る。呆然としていたあずまは、伸ばされた手を、しがみつくように握った。
あずまは、誰に何を言われたわけでもなく、何も言わずに、ちいねに手を伸ばす。ぼたぼたと涙が地面に落ち、彼女はそれを拭いもしないまま、あずまの手を握った。
「立って」
直後、短く、告げられた。ちいねはそれだけを言って、ワタシに手を伸ばしたのだ。
一も二もなく、ワタシはその手を掴んだ。もう一方の手で、拳を作り、顔を拭う。
「そうだな、たたな、ければ」
ワタシは、当主だ。
ほんとうなら、一番最初に立ち上がるべきは、ワタシでなくては、ならなかった。
けれどそれは、出来なかった。それでも、立ち上がり、手を伸ばし、こちらを向いてくれる家族がいる。
救えなかった。
それでも。
ワタシたちは、間違いなく、朱点を倒したのだ。
「帰ろう、みんなで」
先のことは、まるきり分からない。
それでも、姉様を背負い、手を繋いで、ワタシたちは、山を降りたのだった。