大食一族 久遠の詩

俺屍リメイクをプレイします

反省と後悔ばかりの

「母上、当主さまたち、遅いね」

「そうね、甘明。少し遅いわね」

我が子の声に、そっと手を握りながら答える。握り返してくるその力に、強い不安が籠っていた。大丈夫、大丈夫と言い聞かせて、そのまま抱きしめてさすってやる。すぐに胸にしがみつかれ、洟をすする音が聞こえた。

ちいさな背中をさすりながら、一月前、討伐で必ず戦果を挙げてくる、そう言った兄の眼差しの、ゆらめく炎のような光を思い出す。

兄さまは、姉さまが亡くなって以降、忘れ形見である玄を当主として支えなくてはという気持ちと、姉さまのように戦果をあげ、最期まで戦いたいという思いが、きっとないまぜになっていた。

葛藤と言えば簡単だが、それをうまく口に出せない不器用さ。それでも、玄を支えるためには自分が戦いたい気持ちを抑えなければという思いが、息子である刀削への言葉や、当主である玄への行動から滲んでいて。それなのに、わたしはどう声をかけていいか、わからないまま。

12月に大江山に行くと決めたときでさえ、わたしは同調することしかできなかった。

そして、否が応でも感じる、自分の命の終わり、焦り。

それがわたしに伝わるのは、兄妹だからだろうか。

きっと兄さまはいま、そのないまぜになった感情の中で戦っている。

「もしかしたら、討伐を延長しているのかもしれないわ。けれど大丈夫、なにかあったら分かるはず。だから甘明、あなたができることは、しっかり食べてしっかり訓練すること。いいわね?」

根拠のない母のそんな言葉にも、甘明は顔を上げて一つ返事で答えてくれた。

そんな娘をもう一度抱きしめて、どうか無事で、と祈るしかなかった。

 

***

 

九重楼で神さま解放と、指南書の取得を狙う。朱の首輪を持ってるのは、玄の益荒男刀を狙ったときも、すぐに見つかったあのカラスの鬼だ。指南書は上の方にあったからちょっと難しいかもしれない。だけど何かは戦果を挙げて、帰ってくる。心配するな、全員で帰ってくるから。

一月前、大手を振ってそんなことを言ったのは誰だ。

カラスの鬼は見つからず、矢は空を切るばかり。焦りが弓に伝わり、矢羽を持つ手が震える。家族に、とくに息子に悟られまいと、必死で敵を追うけれど届かない。玄の太刀筋は冴えるばかりで、息子も風の力がうまく薙刀に伝わっているようだ。一閃、一網打尽、自分だけが遅れをとる。汗が額を伝い、息がうまく整わない。

「麺太兄上!」

「ち、父上っ大丈夫ですか」

二人の声が、ぐわんぐわんと鳴る頭に辛うじて届く。日を経るごとに動かなくなる体、階段を一段登ることにさえ時間がかかり、ついには足を止めてしまった。もうすぐ今月の討伐が終わってしまう。なんの戦果も、得られずに。

「大丈夫だ、けど、少し待ってくれ」

虚勢であることはもはや、隠しようがなかった。直後、膝から力が抜けるような感覚、立っていることができず、階段から落ちそうになったとき、前を歩いていた玄の手が伸びてきた。背中を支えられてなんとか持ち直し、そのまま階段の段差に腰をかける。息子が唇を青くしているのが見えた。

脳裏に浮かぶのは、相翼院の、そして白骨城の姉上。ああ、そうか。自分も。なのにこのまま、何も為せないまま。

「麺太兄上、もし兄上さえよければですが」

玄の声が、真正面から響く。

「討伐を続行しましょう」

「玄!!!おまえなに言ってんだ!!父上の姿を見てみろよ!!!こんな、こんなになってんだぞ!!はやく帰らせてやらんと…!」

刀削、年下のおまえは当主に敬語を使えといつも言っているだろう。いつも言っている言葉が口から出てくれない。討伐延長?

「おれは、兄上の姿をずっと見てきた。兄上に、この九重楼の最上階まで、共に歩んで欲しいんだ。刀削、おまえにも」

なにを言ってるのかわからない、という顔をしている息子。当然かもしれない。この子は、米子姉さんの最期を、見ていない。

「玄、おまえ」

困惑する息子が、いまにも当主に摑みかかろうとしている。やめろ、と制しながら考えるのは、来月、戦えるかどうか分からないということ。息子に、命を賭して戦う姿を見せるのは、今しかないのだ。

それを汲んでくれたのか、という感謝と、年下の当主に、戦果を上げたい浅ましい心情を、正確に見抜かれていることへの気恥ずかしさ。ないまぜになったそれを飲み込んで、荒れた息を整える。

「当主さま、ありがとうございます。討伐を続行しましょう」

当主として立てるといいながら、敬語を使ったのはこれが初めてだった。

一瞬驚くように、玄の細目が揺らぐ。頷く精悍な横顔を見て、もっと早くから敬語で接しておくべきだったと、後悔ばかりが滲んだ。

 

***

 

「かあさま、かあさま!!!討伐隊が帰ってきました!!!!

出迎えてくれた甘明の声、直後に薯芋花の足音が聞こえ、よかった全員無事ね、というほっとした声が重なった。

「すまない」

「兄さま」

短く交わした言葉の端に、色々な思いが詰まる。薯芋花は、わかっています、という顔をして、泥にまみれた装束ごと支えてくれる。思えば玄だけではなく、妹の薯芋花にも、我儘な思いを汲んでもらってきた。それが今になって、心底申し訳ない。

「兄さま。来月は甘明の初陣ですから。それを、見届けて頂きますからね。玄、刀削、本当に無事で良かった。まずは、ご飯にしましょう」

薯芋花の声はよく通るなぁ。そんなことを考えながら、意識は薄らいでいった。

 

そこからのことは、あまり覚えていない。

 

***

 

「麺太さま、しっかり食べてくださいネ、みなさまからも言付かっております」

「ありがとう、イツ花」

京の復興が進み、食べるものが店先に出始めた。それに伴って食事の品数も増えたけれど、自分の前に毎食出される椀には、柔らかく煮炊きしたものばかりが並んでいる。それなのに、口に運び、咀嚼して嚥下するまでに、ずいぶんと時間がかかった。

聞けば、討伐隊は鳥居千万宮へ向かったという。今行ける場所のなかでは唯一奥まで踏破できていない迷宮で、入り口付近にいる鬼なら心配がない。甘明の初陣にはぴったりの場所だった。

とろんと喉に落ちる粥をすすりながら、否が応でも感じるのは、自分が死ぬということ。

父上は、戦場で受けた攻撃で。

姉さんは、白骨城で。

命を燃やして、そして逝った。

最後の言葉を聞いたのはこの屋敷だけれど、二人とも、振り絞るようにしてたどり着いたのだ。

それなのに自分は、屋敷で安穏と死を迎えようとしている。それが、たまらなく惨めに思えた。

起きて、寝て、食事をとり、そしてまた寝る。体を起こそうとしてもそれが難しく、そうするほかなかったと言えばそれまで、いやそれでも、それでもと思わざるを得ない。

 

幾日が経っただろうか。

やがて自分でもわかるほど、起きている時間が少なくなり、体と世界の境界が曖昧になる。空に昇った姉さんも父さんも、こんな気持ちだったのだろうか。

ああ、このまま、この気持ちごと、俺も逝ってしまおうか。そうすれば少なくとも、息子の前では、頼れる父であれるだろうか。そう考えてしまうことが情けなかった。

 

天井が見える。見えていたはずだ。なのに、見えない。

「兄上!!!」

「父上!!!!」

いないはずの家族の声が聞こえる。

「麺太兄さま…」

薯芋花。これも、幻だろうか。今際の際には、家族の姿が見えるものなのだろうか。

ぼんやりと見えるその姿。頭の中で、抑えていた言葉の留め金が外れて、口からこぼれた。

反省と後悔ばかりで。

みっともなくて、みじめだった。

「そんなことがあるか!!!おれは、おれは…!!!」

息子の声が響く。すまないという気持ちを、言葉にすることすらできなかった。

刀削の涙の粒が、顔に当たる。幻が、質感を伴うのか。

自分とよく似た目元。姉のように薙刀を振るう姿。

 

ああ。そうか。

楽しかったこと、少しはあったな。