立ち上がるための
「たくさん、食べて」
元気ださなきゃね、と一息で言おうとして、喉が詰まった。息を吸おうとしたら鼻の奥が痛んで、言葉が継げない。目頭はじんと熱く、とどめていたものはいとも容易く決壊してしまいそうだ。弟も妹も俯いて黙ったままで、赤く腫れた目が、遅くまで泣いて寝られなかったことを物語っている。おそらく、わたしも同じ顔をしているのだろう。
父上を埋葬して、一夜が明けた。
墓は簡素なものだったけれど、川向こうのお寺さんは丁寧に経をあげてくれたし、きちんと別れを告げることができた。イツ花が話をしていたところを見ると、もしかしたら一族の事情を話したのかもしれない。手を合わせて、頑張るからねと誓ったそれに嘘はないのに、どうにもうまく、父が死んだ事実を受け止めることが出来ていない。
つ、と頬を何かが撫でた。それがぱたっ、と音を立てて卓袱台に落ち、まるく滲んでようやく、自分の涙だということに気付く。
しまった、二人の前では泣くまいと思っていたのに。
慌てて目を擦る。ごめんね、と言おうとして、また言葉が出てこない。卓袱台の上に置かれた山盛りのご飯は冷めゆくばかり。見れば麺太も薯芋花も、箸は持っているのに、ご飯も大皿も大きく減った様子がない。擦れど擦れど、涙は溢れてきて、一度流れてしまったものを止めることが出来ない。いよいよ両手で顔を覆おうしたとき、同じように薯芋花が泣いているのが見えた。
「しょーちゃん」
「だ、だっめだった、の」
しゃくりあげながら薯芋花が言ったことを、理解するまでには少しかかった。駄目だった?
「だめって、なにが」
「と、父さまが、言ったこと、まもれない」
言って、わぁわぁと声を上げて泣いてしまった。慰めないとと思いながら、声を出したら同じように、もう泣き叫ぶことしか出来なくなりそうで。
「飯が食えなくなるなんて、思わなかった」
ぽつり、と呟いたのは麺太だった。箸を握った手は震えていて、眉根に皺を寄せて必死に泣くまいとしている。それでも、薯芋花がわんわん泣く声につられたのか、いよいよ目からは涙がぼたぼたと落ちる。
「あじが、しない。砂を噛んでる、みたいだ。父さんが、食べることを忘れるな、って、言ってた、のに、まもれないのは、俺もおなじだ」
言って、片手で顔を覆ってしまった。それでも指の間から嗚咽が漏れるのが聞こえる。立ち上がって、二人に手を伸ばした。自分よりも大きくなった弟と妹を、それでもぎゅ、と抱きしめる。二人分の泣き声が家の中に満ちて、それが三人分になるまで、時間はかからなかった。
腕の中に二人を抱きしめて泣きながら、ぼんやりと考えていた。
縁側で握り飯を食べたこと。討伐で父上が攻撃を受けて、それがどうにも怖くて腰が引けたこと。術が覚えられなくて悔しがる自分に、わたしは敵を一体しか攻撃出来ないよ、一気に薙げるというのは凄いことなんだよと慰めてくれた父の声。麺太と二人、討伐から戻った時に抱きしめてくれたこと。ご飯を食べる私達を見て、きみたちは本当にそっくりだなぁと笑った顔。似ていると言われて、嬉しかったっけ。
どのくらいそうしていただろう。燦々と差し込んでいた光は、ゆっくりと夕闇に飲まれようとしている。やがて泣き叫ぶ声が緩やかになり、嗚咽が止み、息が整ってくる。しゃくりあげてはいるけれど、声を出そうとしたとき、喉が詰まることはなかった。大丈夫。わたしは、大丈夫。
「麺太、薯芋花」
手をゆっくり解いて、弟たちの顔を覗き込む。麺太は顔を上げたけれど、薯芋花は俯いたままだ。
「しょーちゃん?」
呼びかたを変えて声を掛け、ゆっくり体を離す。ぐら、と薯芋花の体が傾ぐのを、あわてて麺太が支える。息は規則正しく、それは誰が聞いても、寝息だった。
「泣き疲れて、寝たんだな」
言う麺太の声は優しい。薯芋花の体を横たえて、頭の下に座布団を敷く。仰向けで寝る薯芋花の顔は幼く、自分より大きい妹が、やけに小さく見えた。
「麺太、ちょっと手伝ってくれる?」
何を?と、顔に書いてある。あまり口数の多くない彼の意思を、表情から読み取ることが、前は出来なかったっけ。初陣のときよりずっと容易くなったのは、きっと家族として過ごしてきた月日のおかげだろう。それを思って、表情は自然と笑顔になる。
「ごはん。もう冷めて絶対美味しくないでしょう。しょーちゃんが寝てる間に、イツ花に手伝って貰って、ごった煮雑炊でも作ろうと思って」
「ごった煮雑炊?」
「うん。まだ麺太が来る前、父上と討伐から帰るのが遅くなって、ご飯が冷めちゃったことがあってね。今よりお店の数も少ないし、書い直したり作り直したりするのは絶対に無理だったの」
言いながら、大皿と飯碗を持つ。麺太は箸と、持ちきれなかった飯碗をもって、二人して竃に向かった。
「父上もわたしもお腹が空いててね。イツ花も困ってたんだけど、そのとき何を思ってか父上が、鍋の中にお菜もご飯も全部入れて、煮炊きし始めてね。雑炊にする!!!!って」
本当にお腹が空いてたんだねぇ、と、竃に火を入れる。これも思えば、父上に習ったことだった。
「麺太様、よね….漢さま」
困ったようなイツ花の声が聞こえた。見ればいつのまにか土間に立っていて、手には菜っ葉が抱えられている。何をしているのか、という顔だった。漢さま、と呼ばれて、そうだ、わたしは当主なのだと背筋を伸ばす。指にはめた当主の証しをそっと触って、イツ花に言う。
「ごめんね!せっかく作ってくれたごはん、食べられなくて。でも、残すなんてこと、大食一族の名折れだわ。だから、アレにしようと思ったのよ」
イツ花は合点がいったような顔をして、アレですねェ!と笑顔になった。麺太が菜っ葉を受け取る。イツ花は素早く襷を掛けて、鍋の用意をしてくれた。
外はすっかり暗く、明かりを入れて調理にかかる。菜っ葉は明日使おう。調理場の隅においたころに、鍋の中の水が沸いた。三人分の白米を鍋に突っ込み、煮立てていく。そのうちにふやけてほぐれ、とろりとしてくると、米が煮える匂いがあたりに満ち、麺太が唾を飲み込むのが聞こえた。
ああ、父上。
お菜を鍋に突っ込む。我ながら雑だなぁと思うけれど、あの時の父上はもっと雑だった。きっと本当に、腹が減っていたんだろう。
くつくつと音を立てる鍋をかき混ぜながら、息を大きく吸う。
「麺太、あのね、父上はね」
些細なことでも、わたしが見てきた父上の話を、麺太と薯芋花にしてあげよう。今日一日しっかり泣いて、雑炊みたいにぐちゃぐちゃになった気持ちを、ちょっとずつ整えていこう。きっと大丈夫、きっと。もう一度、息を吸う。
そのとき、お腹がくぅ、と鳴った。
「なんだ、いつもより控えめだな」
そう言って麺太は、いつもの顔で笑った。